第十六師団司令部の見学で聖母女学院へ、軍施設から引き継がれた近代建築

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“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。

京都在住のブロガーKyotaroです。

先日、以前からずっと気になっていた聖母女学院本館の内部見学へ行って来ました。

どうみてもかつての軍司令部の建物であることが伺えるのでぜひ、間近で見てみたいと思っていたところ、月曜日の10時から1時間の見学会を月ごとに募集してることを知り、早速申し込み、行って来ました。

もともと伏見区深草の大学に通っていたので、昔からこの界隈はよくしっていたのですが、ついに念願適う初潜入です。

詳しく紹介していきましょう。

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第十六師団司令部、明治期の軍事建築としての価値とは?

今回、聖母女学院が毎月行っている一般公開で第十六師団司令部内部(聖母女学院本館)の特別公開へ参加してきました。

毎月、月曜日の10時から事前申込制で参加することができます。

希望者が多い時は抽選になることもあるようですが、今回初申込で無事、参加することが適いました。

ここでは旧陸軍第十六師団司令部庁舎が、現在の京都聖母女学院本館として現存しており、明治期の軍事建築として、また近代建築として高い価値を有している点に注目して紹介していきましょう。

明治期の軍事建築として3つの価値

1)陸軍司令部庁舎としての希少性

全国的に見ても旧軍の司令部庁舎はいくつか現存しているものがあります。

但し、第十六師団司令部庁舎のように「総煉瓦造」で、かつ良好な保存状況にあるものは非常に貴重だといえるでしょう。

これは、当時の軍事施設の建築様式や技術を示す重要な遺構として非常に希少な存在だと言えます。

2)軍都京都の象徴

第十六師団は、日露戦争後の1905年(明治38年)に京都で編成され、1908年(明治41年)には現在の京都市伏見区深草に司令部を移転しました。

この建物は、かつて軍都として栄えた京都の歴史を物語る象徴的な存在です。

3)機能性と威厳の融合

軍事施設としての機能性を備えつつも、古典様式の意匠でまとめられた外観は、当時の軍部の威厳を示しています。

例えば、玄関部分には古代ギリシャの建築でよく見られる、華やかな渦巻き模様が見られるイオニア式の柱頭を持つオーダーが用いられています。

三角のペディメント(現在は校章)にはかつて菊の紋章が掲げられていたり、三角破風のアクセントが特徴的な急勾配のマンサード屋根、屋根に立ち並ぶ円形のドーマー窓など、当時の面影が残されています。

また、馬に乗ったまま書類の受け渡しを行うための高い位置に受付窓口があったことなども、当時の軍事施設の特性をよく示しています。

近代建築として4つの価値

1)明治期の洋風建築の好例

1908年(明治41年)に竣工したこの庁舎は、明治期に建てられた完成度の高い洋風建築として評価されています。

驚かされるのはその工期で約8ケ月でここまでのものを造り上げたという話にKyotaroは驚かされました。

設計は陸軍省で建設を担当したのは松村組とされていますが、その完成度からイギリス人の設計という説もあるようです。

2)総煉瓦造の建築

総煉瓦造の建物であり、その堅牢な構造と美しい煉瓦積みが特徴です。

当時の建築技術や資材の活用状況を知る上で貴重な事例と言えます。

煉瓦積みについては、明治時代初期まで主流であったフランス積みから地震に強いとされるイギリス積みが主流となり、聖母女学院本館もイギリス積みとなっていますので、ぜひ訪ねた際に注目してみて下さい。

3)細部に凝らされた意匠

外観は古典様式でまとめられている一方で、室内の装飾は簡素ながらも、天井の真飾りや各部屋異なる暖炉の装飾、階段の意匠、ルネサンス風の装飾が施された窓枠など、随所にさまざまな趣向が凝らされています。

これは、当時の洋風建築における内装デザインの多様性を示すものです。

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特にKyotaroが気になったのはサロンと呼ばれる応接室、当時の軍人が携行していたサーベル(洋刀)による傷跡。

そして、五芒星が入った瓦が階段横に安置されている様子などを見て生で歴史を感じることができました。

4)歴史的建造物としての保存と活用

一時は取り壊しの危機に瀕したものの、保存運動により歴史的価値が認められ、現在の聖母女学院本館として活用されています。

これは、近代建築が現代社会においてどのように保存・活用され得るかを示す好例であり、文化財としての価値を後世に伝える上で重要です。

このように、第十六師団司令部庁舎は、明治期の軍事と建築の歴史を現代に伝える貴重な遺産であり、その歴史的・建築的価値は多岐にわたります。

続いて第十六師団司令部庁舎から聖母女学院へとその建物が受け継がれていく歴史について紹介しましょう。

旧陸軍第十六師団司令部庁舎から聖母女学院本館へ

聖母女学院が旧陸軍第十六師団司令部庁舎を引き継ぐことになった歴史的背景は、主に第二次世界大戦後の日本の状況と、学校法人の設立・発展と密接に関わっています。

第十六師団の歴史的役割、そして戦争の記憶を伝える役割をいかに果たしているのか?

聖母女学院へと引き継がれた歴史背景についても見ていきましょう。

戦後の混乱と軍施設の払い下げ

第二次世界大戦の終戦に伴い、日本国内に存在した旧陸軍の施設は、そのほとんどがGHQ(連合国軍総司令部)の管理下に置かれるか、あるいは国から民間に払い下げられることになりました。

旧陸軍第十六師団司令部庁舎もその一つで、かつて日本の軍事の中枢を担った建物は、戦後の混乱期にその役割を終えました。

師団長室は現在、理事長室に

当時の日本は、戦災による荒廃からの復興と、教育制度の再建が喫緊の課題でした。

多くの学校が校舎を失い、学びの場が不足している状況でした。

このような中で、旧軍施設は、その堅牢な造りや広大な敷地から、学校施設として再利用されることが多々ありました。

聖母女学院による取得と再利用

本館から眺めた校庭の風景

聖母女学院は、カトリック系の学校法人として、戦後日本の教育復興に貢献しようと活動していました。

元々大阪に本拠を置いていた聖母女学院が、京都に新たな教育拠点を設けることを検討する中で、旧陸軍第十六師団司令部庁舎とその敷地に注目しました。

具体的には、昭和24年(1949年)に、聖母女学院が国からこの建物と敷地の払い下げを受け、京都聖母女学院の本館として再利用されることになりました。

軍事施設として建てられた歴史ある建物が、平和な学びの場へと姿を変えることになったのです。

聖母女学院としての活用と保存

聖母女学院は、旧司令部庁舎を単に再利用するだけでなく、その歴史的価値を認識し、大切に保存してきました。

戦時中、建物の煉瓦が敵機から見えないようにコールタールで黒く塗られていた時期もあったようですが、後に丁寧に洗浄され、本来の赤煉瓦の姿を取り戻しました。

内部も、高い天井や部屋ごとの暖炉、中央階段の豪華な装飾など、当時の面影をほとんどそのままの形で使用しています。

これにより、聖母女学院の生徒たちは、日々の学校生活の中で、日本の近代史の貴重な遺産と向き合うことになります。

このように、旧陸軍第十六師団司令部庁舎が聖母女学院に引き継がれた歴史的背景には、戦後の日本の社会状況、特に教育復興への強いニーズと、聖母女学院の教育理念が合致した結果と言えるでしょう。

軍事施設から教育施設への転用は、平和な社会への転換を象徴する出来事の一つであり、この建物が持つ歴史の重みをより一層深くしています。

聖母女学院(旧第十六師団司令部)へのアクセスと駐車場について

●学校法人 聖母女学院
TEL:075-831-1381
〒612-0878 京都府京都市伏見区深草田谷町1
◆見学日時 原則、月曜日10:00~11:00
※申し込みは聖母女学院HP内「聖母女学院本館及び記念室の見学について」より
◆見学不可 祝日の月曜、8月及び年末年始
◆見学料金 500円
◆アクセス 京阪電鉄「藤森駅」下車、徒歩3分
◆駐車場  なし ※周辺コインパークを利用


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まとめ

今回は、聖母女学院が毎月行っている一般公開で第16師団司令部内部(聖母女学院本館)の特別公開へ参加してきた時の様子を紹介させて頂きました。

旧陸軍第十六師団司令部庁舎が聖母女学院に引き継がれた歴史的背景には、戦後の日本の社会状況、特に教育復興への強いニーズと、聖母女学院の教育理念が合致した結果と言えるでしょう。

軍事施設から教育施設への転用は、平和な社会への転換を象徴する出来事の一つであり、この建物が持つ歴史の重みをより一層深くしています。

気になるあなたはぜひ、毎月の月曜に開催される見学に申し込んで参加してみては如何でしょう。

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の54歳、フツーの会社員からフリーランスに転身。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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