島原、京都にある日本最古の花街から壬生、新選組発祥の地を歩く

京都街歩き
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京都在住のブロガーKyotaroです。

今回は幕末に京都で活躍した新選組ゆかりの地をめぐるルートの紹介です。

京都の島原といえば、かつて“江戸の吉原”“大坂の新町”とともに幕府公許の花街として「日本三大遊郭」のひとつに数えられた場所でもあります。

新選組御用達の「角屋」をはじめ、揚屋建築を現代に伝える遺構が残る街並みから新選組発祥の地「壬生」の八木家まで歴史を辿るコースを紹介します。

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島原は京都にある日本最古の花街であり遊郭ではない?

京都駅から西本願寺がある堀川通、そして大宮通を経て新選組誕生の地で最初の屯所があった壬生まで歩いて行くことができます。

堀川通から花屋町通(西本願寺北)を大宮通、櫛笥通、壬生川通を経て坊城通まで西に進むと島原大門へと辿り着くことができ、新選組の足跡、史跡を辿ると新選組発祥の地である壬生まで行けます。

ここでは新選組をはじめ坂本龍馬、西郷隆盛など幕末の志士たちも通ったという島原の街並みを紹介します。

比較的観光客も少ないので平日はゆっくり当時の面影が所々残る街並みを楽しむことができます。

日本三大遊郭というより祇園よりも大きな花街だった島原

京都の島原といえば、かつて“江戸の吉原”“大坂の新町”とともに幕府公許の花街として栄えた「日本三大遊郭」のひとつとして取り上げられますが、現在の祇園甲部などと京都五花街に数えられる「花街」だったのです。

そもそも遊郭(江戸の吉原、大坂の新町)とは自ら娼妓を抱え営業することを指しますが、島原は太夫や芸妓を抱える置屋と宴席としての揚屋やお茶屋に分かれており、この形態はまさに祇園甲部をはじめとする花街そのものと全く同じ。

よって島原は「遊郭」ではなく「花街」として栄えてきた歴史があり、江戸中期には俳壇ができるなど文芸をはじめ京都文化の中心として大きな役割を担ってきた過去があるんですね。

島原大門付近は当時の面影が残されており、門前の「見返り柳」が風に揺れる姿は何とも言い難い風情が漂います。

花街としての島原、見どころは?

日本最初の公許花街として賑わってきた島原、遊宴のみならず、文芸も盛んな京都文化の中心的存在として発展してきました。

大門から島原を歩いていると現在は閑静な住宅街になっているのですが、その日常に見え隠れする花街建築が往時の栄えた街並みを想起させる、そんな魅力が島原にはあります。

ここでは島原の見どころを紹介していきます。

島原大門

島原の東玄関口となる現在の「島原大門」は1867年(慶応3)に建立されました。

本瓦葺、切妻屋根を乗せた重厚な趣が現在も遺されており、閑静な住宅街にありながら、その存在感を示しています。

門前には今でも「見返り柳」と呼ばれる遊郭の入口ではお馴染みの柳が島原にもあり、訪れた人が帰り道に名残惜しみ、後ろを振り返ったことからその名が付けられました。

大門に架かる提灯がまた、花街独特の何とも言えない趣を漂わせています。

輪違屋

輪違屋(わちがいや)は、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で元禄年間(1688~1704)の創業と云われています。

現在の建物は、1857年(安政4)に再建されたもので、その後増改築を繰り返して1871年(明治4)にほぼ現在の姿になったといいます。

複雑な平面構成になっていますが、1階南半分の居室と1階北半分及び2階の客室からなり、客室は全部で十数室あります。

なかでも2階の傘の間と紅葉の間が主な座敷で襖や壁の斬新な意匠は目を見張るものがあります。

入口に掲げられた観覧謝絶(一見さんお断り)の木札が当時の風格が現在も漂っています。

輪違屋は古い置屋の遺構として貴重であることから1984年(昭和59)6月に京都市指定有形文化財に指定されました。

角屋もてなしの文化美術館

国指定の重要文化財建造物として角屋を保存していくため、現在は「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開されています(期間限定による休館日多数、注意)。

1641年(寛永18)の花街として島原開設当初から続く揚屋(料亭)で江戸時代の京都では最大規模の宴会場があったことでも知られています。

揚屋とは、現在の料亭と同じく、置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴する場所で江戸の吉原(遊郭)にはなく、京都の島原、そして大坂の新町に存在していました。

島原の角屋をはじめ、当時の揚屋には遊宴以外にも和歌、俳諧など文芸の席やお茶席が行われ、京都文化の中心としての役割を果たしていたのです。

その形跡が色濃く残るのは外観の格子造りで、江戸の吉原のように牢屋のような造りでなく、近世京都の町家の形をしているのが最大の特徴です。

新選組の芹沢鴨は1863年(文久3)9月18日に角屋で行われた新選組局長クラスの宴会に出席した夜に屯所である八木家で暗殺されました。

きんせ旅館

輪違屋から角屋もてなしの文化美術館へ行く道中にあるのが「きんせ旅館」です。

特に看板もないので分かり辛いのですが、「誠の湯」駐車場を超えた先にある大きな花街建築なので意識的に歩くと気付けるはずです。

もともと揚屋であった推定250年の木造建築で、現在も一日一組限定の「きんせ旅館」として営業をしています。

ぜひ、お勧めしたいのが旅館内にある「Cafe AUSGANG」で大正末期に折り上げ天井格子と華やかなステンドグラスという洋風モダンな雰囲気に改装したお洒落なカフェです(※営業時間が変則的なので注意)。

館内のあちこちで見ることのできる大正・昭和の名建材「泰山タイル」は必見、建築マニアには堪らないポイントです。

新選組誕生の地「八木家」と壬生寺へ

新選組発祥の地となった壬生の「八木家」と壬生寺まで島原からは歩いて18分程度の距離です。

1863年(文久3)春、第14代将軍家茂公上洛の際、その警護のため江戸から上洛した浪士隊が洛西の壬生村に宿所を求めてやってきたのが始まりです。

新選組誕生の地「八木家」

後に浪士隊が江戸に呼び戻された際、八木家を宿所にしていた芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助ら13名が浪士隊から離れ京に残り、ここ八木家の右門柱に「松平肥後守御陵新選組」という表札をあげたのが新選組の始まりとされています。

京都市指定有形文化財になっている「八木家住宅」は現在、「新選組 壬生屯所遺蹟」として一般公開されています。

八木家は当時、壬生村きっての旧家でかつての壬生郷士の長老をつとめており、幕末には新選組の宿所となった「旧壬生屯所」として知られています。

建物は長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建っており、土間に沿って三室ずつ二列に配しており、一番奥の庭園に面した奥座敷で芹沢鴨が暗殺され、近藤、土方、沖田、山南の誰かが付けたであろう刀傷が現在も残されています。

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ガイド付きで約30分の拝観(大人1,100円)、終了後に「京都鶴屋」の御休み処「鶴壽庵」で屯所餅とお抹茶の接待が受けられます。

八木家はその後、御菓子司「京都鶴屋」を名乗り、現在も和菓子の製造販売をしておられ、史跡としての八木家の拝観受付も店内で行っておられます。

壬生寺

壬生寺は天台宗のお寺で、平安時代に藤原頼通によって1072年に創建され、江戸末期に京都で活躍した新選組のゆかりの地としても有名です。

八木家に隣接する立地で壬生寺は新選組の訓練や生活の場として重要な役割を果たしていました。

境内は壬生狂言の舞台としても知られる大念佛堂と千体の石仏を安置する千体仏塔を中心とし、一夜天神堂のほか、御本尊の延命地蔵菩薩をはじめ水掛地蔵、夜啼き地蔵など多くの地蔵菩薩をお祀りしています。

現在でも境内には、新選組に関連する資料や展示があり、阿弥陀堂には阿弥陀如来のほか、壬生塚とよばれる新選組にまつわる史跡があります。

誠 新選組顕彰碑のほか、芹沢鴨の墓、池田屋騒動でなくなった隊士13名の合祀墓、新選組局長の近藤勇の胸像に加え、2023年には土方歳三の胸像も新設されました。

今回訪ねた際、土方歳三の胸像がスズメやハトたちに囲まれた微笑ましい光景に遭遇しました。

また、阿弥陀堂地下には壬生寺歴史資料室があり、寺宝の他、壬生狂言や新選組に関する資料、パネル展示がされています。

島原と壬生へのアクセスと駐車場について

●角屋もてなしの文化美術館
TEL:075-351-0024
〒600-8828 京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町32
■拝観料金 ※小学生以下は拝観不可
・一般(大学生含む)1,000円 中高生800円 小学生500円
・2階座敷特別公開(要予約)別途料金 一般800円 中高生600円
■拝観時間 10:00~16:00 ※案内時間と人数制限あり、注意
・1階:1日6回(午前10時30分、11時30分、午後0時40分、1時30分、2時30分、3時30分)いずれも30分程度。各回20名様程度。
・2階座敷特別公開:予約制で1日4回(午前10時15分、午後1時15分、2時15分、3時15分)いずれも所要時間30分。各回15名様。
■休館日  毎週月曜日+以下期間
・冬季12月16日~3月14日
・夏季7月19日~9月14日
■アクセス 丹波口駅と梅小路京都西駅の中間地点
・JR嵯峨野線(丹波口駅)下車、徒歩7分
・JR嵯峨野線(梅小路京都西駅)下車、徒歩8分
■駐車場  専用なし※周辺コインパーク利用

●八木家(新選組 壬生屯所遺蹟)
TEL:075-841-0751
〒604-8821 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
■拝観料金
大 人:1,100円(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
中高生:1,100円(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
600円(見学のみ)
小 人:800円(ガイド・抹茶・屯所餅付き)
300円(見学のみ)
■拝観時間 9:00?17:00
■アクセス 四条大宮からのアクセスが便利
・阪急電鉄「大宮駅」、京福電鉄「四条大宮駅」下車、徒歩10分
・京都市バス「壬生寺道バス停」下車、徒歩1分
■駐車場  専用なし※周辺コインパーク利用
「京都鶴屋」でお買上げいただいたお客様は北隣駐車場が30分無料になります。


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まとめ

今回は幕末の京都で活躍した、新選組にまつわる京都の島原から壬生までの史跡をめぐるコースについて紹介させて頂きました。

個人的に島原はずっと「日本三大遊郭」のひとつという先入観から「京都五大花街」のひとつであり、京都文化の中心であったことを学び、遊宴のみならず文芸が盛んに行われてきた歴史に触れることができました。

輪違屋、角屋、八木家、そして壬生寺と新選組の足跡を辿る形での訪問となりましたが、京都駅から西本願寺を交えて歩くと幕末京都の歴史散歩を楽しめるルートとなります。

八木家のガイド付観光は新選組ファンにとっては必見の史跡で芹沢鴨暗殺の地、現存する刀傷などとても興味深く拝観できました。

残念なのは、八木家は室内が一切撮影禁止であることで、今回は写真がありませんが、ぜひあなたも訪れて興味深いガイド案内とその目で史跡を実際に拝観してみては如何でしょうか?

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の54歳、フツーの会社員からフリーランスに転身。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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