橋本遊郭を実際に見学してみた感想、かつて不夜城とよばれた街の現在

京都街歩き
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橋本から淀川対岸の山崎を眺める、昔は渡船があった

“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。

京都在住のブロガーKyotaroです。

京都府南部の大阪府との県境にあたる八幡市は木津川、宇治川、そして桂川の三つの一級河川が合流し、淀川となる自然豊かで風光明媚な町として知られ、小高い男山山頂には国宝の石清水八幡宮が鎮座します。

古くから京都と大阪を船で結ぶ交通の要衝として栄え、対岸には天王山がそびえ、数々の歴史の舞台にもなってきたデルタ地帯でもあります。

今回は、八幡市の大阪府との県境に位置する町、橋本に残る遊郭跡が見学できる、というツアーに実際に参加した時の様子を紹介します。

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橋本遊郭の見学ツアーへ参加して感じたこと

京都の遊郭といえば、島原が有名であの“新選組”もよく出入りしていたことでも知られるほど全国的にも名が知れ渡っています。

京都には他にも五条楽園や伏見の中書島にも遊郭があり、1872年(明治5)の芸妓・娼妓の解放令に始まり、1900年(明治33)には娼妓取締規則の制定、1946年(昭和21)GHQの要求により娼妓取締規則の廃止、そして1958年(昭和33)売春防止法の制定とともに遊郭はその姿を徐々に消していき、衰退していきます。

どちらかというと黒歴史が多い、どこか後ろめたい過去がある、そんな印象が遊郭にはあったのですが、今回京阪電鉄の橋本駅集合の橋本遊郭跡へのまち歩きツアーに実際に参加し、橋本遊郭に生まれ育ち、父親の代、昭和33年まで貸席業を営んでいたという地元ガイドさんの案内でその歴史を体感してきました。

稼業が遊郭である事の後めたさ

今回、橋本遊郭跡をご案内下さったのは、橋本でご両親が遊郭を営んでおられたというOさん、御年80才。

ガイド役をつとめて下さったのですが、とても分かりやすい案内にその当時の世界へ引き込まれるかのような感覚に陥りました。

Oさんがおっしゃるには、当時小学生ながら、親の職業が遊郭を営んでいることに後ろめたさしかない、とても人に親の職業なんて言えなかった、辛い記憶だけが残っているそうです。

幼いながらも、一緒に暮らす遊女たちの仕事内容は何となく分かっていたのか、分かっていなかったのか?後になってようやく理解出来たこともあったそう。

どちらかと言うと遊郭は、日本の歴史の中で闇に包まれてきた部分が多く、実家がかつて遊郭を営んでいた事は隠したい過去のはず。

Oさんの中では、ずっと実家がかつて遊郭を営んできた事、そんな家に生まれた事は運命であり、自分ではコントロール出来ないから仕方ない、と思い生きて来られたそう。

でもある契機が、Oさんを動かすことになったといいます。

遊郭の妓楼建築を案内するガイドに

Oさんは、実際に暮らしていた遊女たちが皆が思っているほど可哀想で辛い人生を送っていたわけではなかった、とガイドで教えてくれました。

とにかく貧しかった日本で当時の娼妓たちは、親兄弟のために役立っていると、むしろ充実した日々を送り、とても明るい表情で暮らしていた、といいます。

当時、橋本には675名もの娼妓(遊女)たちが暮らし、仕事の前には皆で大きな銭湯へ500人以上がおしかけたといいます。

橋本駅前にあった歌舞練場跡は公園に

彼女たちは一緒に風呂へ行く日課そのものもとても楽しそうにしていた、とOさんは語って下さいます。

遊女たちが、遊郭の前で撮った写真を見せて下さったのですが、セピア色の写真に写る女性たちの明るく凛とした表情に驚かされました。

全く負のオーラなど感じさせない、立派な姿はまるで女優のようでした。

遊郭が姿を消して70年近くが経ちますが、妓楼建築を見学にやってくる人が増えるなか、そんな遊郭の真実と歴史を後世に伝えるため、Oさんは立ち上がったのです。

恋に破れ、遊郭へ辿り着いた男性の運命

Oさんは、結婚を考えていた人と恋に破れ、気を紛らすために遊郭を訪れた男性の話をしてくれた。

最初は軽い気持ちであったが、通い詰めるうちにとある娼妓が部屋のタンスに衣類をしっかり整理整頓している生真面目さに惹かれたという。

やがて男性はその娼妓に求婚し、ふたりは結婚することになり、妓楼から娼妓月嫁ぐ際、正装したふたりの写真をOさんの母親が業者に頼んで撮影した。

このように当時の娼妓たちの写真をたくさんガイドをしながらOさんは見せてくれました。

橋本遊郭をガイドすることへの不安

橋本遊郭は現在も当時の希少な建物やステンドグラス、建物入り口にある欄干など、全国的に見ても珍しい遊郭跡として近年は注目を集めるようになります。

希少な建築や675名もの女性たちが働いていた歴史的な観点から橋本遊郭跡を訪れる人や研究者が後を経たないのです。

時代の変化に伴い、この街には後世に語り継ぐ価値のある建物、そして娼妓たちの生き様を伝承するだけの歴史が残されていることにOさんは気付き、ガイドを引き受けることに。

でも親の稼業が遊郭であったことにどこか負い目を感じていたOさんにとって、遊郭跡をガイドするのはとても不安だらけであったといいます。

地元住民の中には遊郭跡を街歩きで案内すること自体、良く思わない人もいるだろう。

「なぜ?遊郭跡なんかをガイドとして案内するのか?恥ずかしくないのか?などネガティブな苦情への不安が相当あった」と最後に振り返っておられました。

一部、SNSでも心無い批判の書き込みがあり、心を痛めたこともあった、と仰ってました。

でもOさんはもっともっと橋本遊郭の歴史、そして当時の娼妓たちは家族を養うために働いているのだと自信に満ち溢れて働いていた事実を知って欲しい、という思いでガイドを引き受けたのだそうです。

そして、今も定期的に橋本遊郭を案内するツアーでガイドを務めておられるのです。

橋本遊郭の妓楼建築「旧第二友栄楼」と「旧三枡楼」の現在

では、今回実際に訪れた4件の遊郭跡のうちの2軒、「旧第二友栄楼」と「旧三枡楼」について紹介します。

ここでは紹介しませんが、実はガイド役のOさんのお宅もご案内下さいましたが、まさにかつて遊郭であったことが伺える見事な妓楼建築でした。

橋本遊郭跡を歩いてるとあちこちの軒に個性豊かな中国の武将「鍾馗」をみることができます。

あなたも訪れた際にぜひ探してみて下さい。

「旧第二友栄楼」美香茶楼

かつて橋本遊郭のひとつであった「第二友栄楼」は2021年12月に「美香茶楼」という茶楼に生まれ変わり、現在も見学に来られる方や宿泊の受け入れをされています。

茶楼といっても中国茶カフェですね。

内覧もできるので見学してきましたが、玄関は生活感、というか当時の面影と現代の生活が入り混じった、独特の空間でした。

大正から昭和にかけての空気感が半端ないくらい伝わってきました。

玄関をあがるとすぐ右手に2階へあがる急な階段、2階の壁でT字になっており、両方向にそれぞれ階段が続きます。

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人気アニメの「鬼滅の刃」でも舞台になった遊郭を彷彿とさせます。

随所に化粧箱らしきものやレトロなランプが無造作に置いてあるのもどこかノスタルジーな気分になります。

展示っぽくないのがまたいい、間近にいろんな備品が見ることができるので当時のリアルな世界をどことなく体感できます。

2階は娼妓たちが暮らした部屋、客人をもてなした部屋やカフェスペースなどがあり、建築そのものが当時の面影を残すところが非常に多く、とても見ごたえがありました。

「旧三枡楼」旅館 橋本の香

「旧第二友栄楼」美香茶楼と同じ並びに建つ規模の大きい妓楼建築で現在も旅館として営業、内部を見学することもできます。

もともと取り壊される予定であった「旧三枡楼」を現在は中国人女性が買い取って修繕し、オーナーを務めておられます。※「旧第二友栄楼」と同じオーナー

娼妓が描かれたステンドグラスにはよく見ると女性オーナーのいたずら書きが施されていました。

Oさんの案内によれば御主人はインド系アメリカ人のイケメン富豪?だとか。

「旧三枡楼」は、正面玄関を入った正面に2段式の上り框があり、妓楼の主人はこの腰窓に正座した状態で客人と同じ目線で挨拶をし、おもてなしをしたと云われています。

この2段式の上り框が残ってるのも珍しいそうで橋本のなかで現存する唯一の高級妓楼です。

もう一軒、高級妓楼が橋本にあったそうですが、つい最近取り壊しになったそうです。

2階には小部屋がたくさんあり、多くの娼妓たちが暮らしていたことが伺えます。

「旧三枡楼」の特徴は2階にあがるとステンドグラス、様々な当時のタイルもみることができます。

必見は花魁道中の唐傘をイメージしたという天井です。

また大きな中庭が吹き抜けのようにあり、当時の面影をここでも感じることができます。

所々にある吹き抜け、庭園をはじめ、小部屋にも通気口らしき穴が設けてあったりとこれらはすべて感染症対策のために換気の役割をしていた、とOさんは仰ってました。

現代でいうコロナ対策ということでしょうか?

1階には大きな広間があり、こちらは妓楼の主人の部屋であったといいます。

圧巻は壁一面に敷き詰められたタンス。

これだけの規模のタンスには帳簿をはじめ、当時の妓楼を切り盛りしていた主人にとって大切なものがたくさん入っていたのでしょう。

金庫も居間に組み込まれた状態、当時のまま残されており、こちらもなかなか現代でお目にかかれない代物です。

橋本遊郭へのアクセスと駐車場について

●橋本遊郭
■旧第二友栄楼
TEL:090-8375-8761
〒614-8341 京都府八幡市橋本中ノ町22
・店内見学 大人1,000円
・不定休
※訪問の際は事前に連絡を
■旧三枡楼
TEL:090-8375-8761
〒614-8342 京都府八幡市橋本小金川2
・店内見学 大人1,000円
・不定休
※訪問の際は事前に連絡を
■アクセス 京阪電鉄「橋本駅」下車、徒歩5分以内
■駐車場  なし ※周辺コインパーク利用


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まとめ

今回は京都にある遊郭跡の紹介で八幡市橋本にある橋本遊郭跡を訪ねるツアーに参加した時の様子をシェアさせて頂きました。

遊女とよばれた娼妓たちの生きざまをガイドのOさんの案内で当時の妓楼建築を見ながら、橋本の街を歩いているとまるでタイムスリップしたかのような感覚で見学ができました。

やはりひとりで見て歩くのと歴史背景から当時の様子を聞きながら歩くのでは全然違います。

唯一の心残りは橋本駅前にある「洋食の店 やをりき」さん、ここのオムライスは関西一美味しいとガイドを務めて下さったOさんが仰ってたので帰りに行こうとしたら残念ながらお休み(日曜定休)でしたのでまた改めて訪れたいと思います。

ちなみに橋本駅は切符の販売を行っていない、京阪沿線でも珍しい駅のひとつ。

券売機らしき機械で乗車駅証明書ボタンを押して発券し、下車駅ののりこし精算機で支払いをするシステム。

最近では京阪電車の私市駅でもこの方式が導入されました。

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の53歳、フツーの会社員。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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