紫式部ゆかりの地、京都で有名な神社とお寺はどこ?実際に歩いてみた

京都街歩き
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“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。

京都在住のブロガーKyotaroです。

京都には源氏物語の作者として知られる紫式部にゆかりのある場所が点在しています。

特に京都といえば神社仏閣が多い街として知られ、紫式部にゆかりがあるという神社やお寺もたくさんあります。

今回は紫式部ゆかりの地として地名にその名残がある京都「紫野」とその周辺を実際に歩いてきたのでその様子をシェアします。

詳しく見ていきましょう。

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京都紫野界隈の紫式部ゆかりの神社とお寺

京都市北区にある「紫野」はかつて紫式部にゆかりがある地として地名にその名残がある場所と云われています。

京都市内の北部にあり、周辺には大徳寺や今宮神社があり、主要公共交通機関のターミナルとして地下鉄烏丸線の「北大路駅」や市営バスの「北大路ターミナル」がある場所です。

Kyotaroが生まれ育ったのも「紫野」ですのでかつて幼少期に過ごした街でもあります。

今回は地下鉄烏丸線「北大路駅」を起点に歩いて紫式部にゆかりのある神社、お寺を歩いてきたのでその様子を紹介します。

所要時間は3時間程度、歩いて半日で巡ることができるルートです。

北大路駅から徒歩約30分、賀茂川沿いを北上して上賀茂神社(片岡社)、そして紫野の街並み、大徳寺境内を経由して歩くこと30分で雲林院、そこから徒歩10分の紫式部のお墓までを歩いたルートです。

途中、今宮神社参道の「あぶり餅とお茶」の休憩も入れました。

上賀茂神社の第一摂社、片岡社

上賀茂神社こと「加茂別雷神社」には境内に二十四社もの摂末社があり、その第一摂社に定められるのが「片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)」です。

確かに加茂別雷神社のご本殿がある楼門のすぐ前に鎮座する摂社でそう大きくはないのですが、御物忌川沿いに立派な社殿があります。

通称「片岡社」と呼ばれる摂社で加茂別雷神社の母神「賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)」をお祀りしています。

1591年(天正19)に朝廷から最高位の「正一位」の神位が奉授されていることからも当時より片岡社に対するとても篤い信仰があったことがわかっています。

御祭神の「賀茂玉依比売命」は平安時代より縁結び、恋愛成就、家内安全、安産祈願、そして子孫繁栄の神様として厚く信仰されており、紫式部もよくお参りに来ていたと云われている神社なのです。

実際に紫式部が片岡社を参拝した際に詠まれた和歌が「新古今和歌集」第三巻の夏歌です。

「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬまれし」

脇には紫式部の絵馬がたくさん奉納されており、多くの女性参拝者が訪れていることを伺い知ることができる光景が広がっていました。

新宮神社

今回、上賀茂神社(加茂別雷神社)を訪れた際に普段は非公開の「新宮神社」をお参りすることができたので参拝、御朱印を授かり、水みくじ(龍のお告げ)にもチャレンジしてきました。

普段は上賀茂神社境内のいちばん奥にあり、門が閉ざされて中に入れないのですが、今回は運よく参拝することができました。

御祭神は「高?神(たかおかみのかみ)」で生命の源である水を司る龍神として崇敬されています。

鎮座年代等詳細は不明ですが平安時代には既にお祀りされていたという記録が残っています。

毎月、第二第四日曜日しか開門されないのですが、2024年辰年に限っては毎週末(土・日)と祝日はすべて開門されるとのことで多くの人で賑わっていました。

ちなみに水みくじ、龍のお告げ(初穂料200円)の結果は「気にしんときや~」という文字が浮かび上がり、2024年新春に納得の“ひと言”を授かることができました。

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龍神さまから「小さなことをくよくよ気にするのではなく、大きく羽ばたいてみなさい!」と言われてるような気がしたのでそう思って行動することにしました。

雲林院

京都市紫野雲林院町にある小さな寺院で寺院の名称が町の名前になっているほど歴史の古い寺院でもあります。

紫式部が描いた「源氏物語」にも雲林院の名は現れ、「古今集」以下歌枕としても有名な寺院です。

創建は平安時代で当時、紫野一帯は狩猟地でもあった広大な荒地で始まりは淳和天皇がこの地に造られた広大な離宮紫野院へ度々行幸され、文人を交えての歌舞も執り行われたのがはじまりです。

869年(貞観11)に僧正遍昭を招き、雲林院となり、官寺となりました。

境内には僧正遍昭の歌碑もあり、季節的に蝋梅が綺麗に咲いていました。

応仁・文明の乱で焼失し、のち鎌倉時代になるとかつての雲林院の敷地内に大徳寺が建立され、大徳寺の塔頭寺院として再建、寺名も踏襲され今日に至ります。

境内は非常に狭く、現在の観音堂は1707年(宝永4)に再建のもので十一面観音菩薩像、大徳寺開山大澄国師像を安置しています。

街中に佇む、静かで小さな寺院です。

小野篁卿墓・紫式部墓所

雲林院から歩くこと約10分、北大路堀川の交差点を南に下がった堀川通沿いにひっそりと佇むのが「紫式部墓所」です。

この世と地獄を行き来し、閻魔大王とも親交があったという小野篁卿の墓がすぐ隣にあります。

「紫式部墓所」がある紫野付近は紫式部が生まれ育った場所とも云われています。

入口に「紫式部墓所」と書かれた石碑があり、そこから奥に進むと紫式部のお墓と小野篁卿のお墓が並んで建っています。

なぜ?このおふたりの墓が隣接してるのかな?と思って調べてみたところ、言い伝えですが紫式部はどういうわけか死後地獄送りになってしまったといいます。

紫式部の地獄行きを聞いた「源氏物語」を愛読していた人々がそれは忍びないということで閻魔大王の秘書官のような存在であった小野篁卿のお墓の横に紫式部のお墓を移動させたというわけです。

よって紫式部のお墓はもともと別の場所にあった、ということになりますが、全て言い伝えのためその真意は定かではありません。


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まとめ

紫式部ゆかりの地めぐり、神社とお寺、そして紫式部墓所をめぐるルートの紹介でしたが、いかがでしたでしょうか。

今回、加茂別雷神社から大徳寺に向かう途中に今宮神社参道にある「あぶり餅 一和」へ立ち寄って休憩しました。

ここは参道を挟んだ向かい側にも「あぶり餅本家 かざりや」があり、向かい合わせで2件の「あぶり餅屋」があることで世界的にも有名なってしまったスポットです。

独特の食感、味もきなこ風味の甘みがあるたれであぶりたてのお餅の風味がコラボした絶妙な味わいが歩いて疲れた身体を癒してくれますよ。

ぜひ、京都紫野界隈を街歩きされる際には立ち寄ってみては如何でしょうか?

※近年、有名になりすぎて春のシーズン、秋のシーズンの週末はたくさんの人で混雑、待ち時間が発生していますので注意が必要です。

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