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京都在住のブロガーKyotaroです。
2025年8月27日、琵琶湖疏水の一部施設が、国宝・重要文化財に正式に登録されました。
明治時代、京都の復興をかけて建設されたこの一大プロジェクトの歴史的価値と、当時の技術水準がいかに高かったかを改めて示すもの。
今回は、国宝に指定された施設を含む、琵琶湖疏水の魅力を辿る旅へとご案内します。
大津から蹴上、そして南禅寺へと続く疏水の流れに沿って、その歴史と見どころを深く掘り下げていきましょう。
5つの施設が国宝に!琵琶湖疏水に秘められた技術とロマン
琵琶湖疏水が「生きている文化財」として国宝に指定されたことは、単なる歴史的評価にとどまらない、現代に生きる私たちの暮らしに深く関わる出来事です。
今回指定された5つの施設は、明治の偉業を今に伝えるだけでなく、当時の日本の技術力が世界レベルに達していたことを証明しています。
今回は、琵琶湖疏水の心臓部ともいえるこれら5つの施設に焦点を当て、それぞれの魅力と、そこに込められた知られざるドラマをご紹介します。
琵琶湖疏水第一隧道(国宝)
琵琶湖疏水の出発点であり、最長のトンネルである第一隧道は、まさに日本近代土木史に輝く金字塔。
全長約2.4kmにも及ぶこのトンネルは、日本の土木技術の歴史を語る上で欠かせない存在です。
当時の掘削技術では、これほどの長大なトンネルを山中に掘り進めることは至難の業でした。
しかし、熟練の職人たちが人力で岩盤を掘り、レンガを一つひとつ積み上げていった結果、見事に貫通させました。
注目すべきは、出口にある山縣有朋の筆による扁額。当初は出口に伊藤博文の揮毫、入口に山縣有朋の揮毫が予定されていましたが、完成後に逆になったというエピソードが残っています。
こうした歴史の紆余曲折も、第一隧道をさらに魅力的な存在にしています。
琵琶湖疏水第二隧道・第三隧道(ともに国宝)
第一隧道を抜けた疏水は、山科盆地を通り、再び山を越えるために第二隧道へ、そして京都の東山を貫く第三隧道へと続きます。
この二つのトンネルは、第一隧道と比べると短いものの、京都へと水を運ぶ上で不可欠な役割を担っており、京都への命運を繋ぐ山中トンネル。
これらのトンネル建設には、最新の測量技術が駆使されました。
山の両側から掘り進め、誤差わずかという驚くべき精度で貫通させたのです。
これは、当時の日本の測量技術がすでに世界最高水準にあったことを物語っています。
特に第三隧道を抜けた先には、いよいよ京都の市街地へと水が流れ込む、感動的な光景が広がります。
蹴上インクライン(国宝)
琵琶湖疏水は、山科から蹴上へと向かう途中で約36mもの高低差に直面します。
この難所を克服するために建設されたのが、蹴上インクラインです。
この施設は、船を専用の台車に乗せてレール上を上下させるという、当時の日本では前例のない画期的な画期的な技術が生んだ水上交通の要となるシステムでした。
これにより、物資の輸送が円滑になり、京都の経済活動を活性化させる原動力となりました。
現在も残るレールは、明治の技術者たちの創意工夫を今に伝える貴重な遺産であり、春には桜並木が、秋には紅葉が美しく彩る人気の散策スポットです。
南禅寺水路閣(国宝)
蹴上から南禅寺へと続く疏水の道。境内に足を踏み入れると、突然現れるのが南禅寺水路閣です。
古代ローマの水道橋を彷彿とさせるレンガ造りの美しいアーチ橋は、周囲の厳かな寺院の景観に驚くほど調和しています。
この水路閣は、南禅寺の境内を横切るという、当時としては前代未聞の計画でした。
しかし、周囲の景観に配慮し、景観美を損なわないよう設計されたその姿は、単なる土木構造物ではなく、芸術品としての価値も高く評価されています。
水路閣の歴史的・芸術的価値が認められたことは、琵琶湖疏水が技術だけでなく、文化や景観にも配慮した壮大なプロジェクトであったことを示しています。
大津閘門から京都蹴上へ、知られざるルート
琵琶湖疏水の偉業は、国宝に指定された5つの施設だけにとどまりません。
水の道全体を辿る旅は、京都の近代化を支えた人々の情熱と、当時の技術の結晶を感じさせてくれます。
ここからは、滋賀県大津市から京都へ向かう、琵琶湖疏水のおすすめルートをご紹介します。
旅の始まり、大津閘門と取水口
琵琶湖疏水の旅は、まず滋賀県大津市にある大津閘門から始まります。
琵琶湖の水位に左右されず、安定して疏水へと水を供給するために造られたこの施設は、明治の技術者たちの知恵と工夫が詰まっています。
ここから、いよいよ壮大な水の旅が静かに幕を開けます。
皇子山から四ノ宮へ、京阪京津線
大津閘門から、疏水に沿って歩き始めると、やがて疏水が山を貫くトンネルへと入っていくため、ここからは京阪京津線を利用します。
大津市の上栄町駅から乗車し、京都市の四ノ宮駅で下車。
車窓からは、山科盆地の穏やかな風景が広がり、疏水の流れも時折、垣間見ることができます。
山科疏水とインクライン
四ノ宮駅からは、再び歩いて山科疏水沿いを歩いて山科駅方面へと向かいます。
春には桜並木、秋には紅葉が美しく、疏水の水面に映し出される景色は格別です。
山科盆地を流れる疏水は、京都の街へ水を運ぶ大切な水路でありながら、地域住民の憩いの場にもなっています。
そして、山科から再び、京阪京津線(地下区間)に乗って御陵駅まで移動します。
京都近代化のシンボル、蹴上インクラインと発電所
山科を抜け、蹴上へとたどり着くと、そこには琵琶湖疏水の象徴ともいえる蹴上インクラインが姿を現します。
これは、高低差のある場所で船を上下させるための斜面鉄道で、かつては舟運の要でした。
インクラインの線路跡は、現在も歩くことができ、春には桜名所ともなっています。
また、近くには日本初の営業用水力発電所である「蹴上発電所」があります。
これは、琵琶湖疏水の水を活用して電力を生み出し、京都の街に電灯を灯した、まさに京都近代化のシンボルとも呼ばれる施設です。
歴史と自然の融合、南禅寺水路閣
蹴上から、いよいよ旅の終点である南禅寺水路閣へと向かいます。
レンガ造りのアーチが美しいこの水路橋は、琵琶湖疏水の水を南禅寺の境内を横切って流すために造られました。
ローマの水道橋を思わせるその景観は、南禅寺の古刹と見事に調和し、独特の雰囲気を醸し出しています。
若きカリスマ・田辺朔朗、京都近代化を成し遂げた不屈の魂
琵琶湖疏水という国家的プロジェクトの成功は、一人の若き天才の情熱と努力によって成し遂げられました。
それが、当時まだ21歳だった工部大学校(現在の東京大学工学部)卒業の土木技術者、田辺朔朗です。
彼がどのような困難に立ち向かい、どのようにしてこの偉業を成し遂げたのか、その物語を紐解いていきましょう。
首都移転で衰退した京都の危機
明治維新により首都が東京へ移り、京都は活気を失い、人口も激減しました。
この危機を打開しようと、当時の京都府知事・北垣国道は、琵琶湖から水を引いて水力発電や舟運などに利用し、京都を近代都市へと再生させるという一大構想を打ち出しました。
しかし、この前代未聞のプロジェクトには、莫大な費用と高い技術力が必要とされました。
欧米の技術を凌駕する若き天才の挑戦
北垣知事は、欧米の最新技術を学び、日本の風土に合わせた設計を考案できる若き才能を探し、田辺朔朗を抜擢します。
当時、日本人だけでこのような巨大プロジェクトを完成させることは不可能だと言われていました。
しかし、田辺朔朗は、ダイナマイトの導入や、トンネル内での照明・換気システムの考案など、最新の技術を駆使し、不可能を可能にしていきました。
彼のカリスマ性と、決して諦めない不屈の精神は、多くの技術者たちを奮い立たせました。
困難を乗り越えた建設工事
琵琶湖疏水の建設は、いくつもの困難に直面しました。
特に、全長約24kmにも及ぶトンネルの掘削は、当時の技術では想像を絶する難工事でした。
しかし、田辺は最新の技術を駆使し、ダイナマイトを導入するなどして、この難関を突破しました。
さらに、トンネル内での照明や換気の問題、地下水の湧出など、様々な技術的課題を一つ一つクリアしていったのです。
時代を切り拓いた偉大な功績
1890年(明治23年)、ついに琵琶湖疏水が完成しました。
これにより、京都は再び活気を取り戻し、日本初の営業用電力や、その電力を利用した路面電車(京阪京津線もその一つ)が走り始めました。
さらに、疏水を利用した工業用水や、舟運による物資の輸送も盛んになり、京都は近代都市へと生まれ変わりました。
田辺朔朗と彼を支えた若き技術者たちの功績は、日本の近代化の礎を築いた偉大な遺産として、今もなお私たちに感動を与え続けています。
琵琶湖疏水と若き技術者たちの功績
琵琶湖疏水は、田辺朔朗をはじめとする若き技術者たちが、当時の最新技術と情熱を注ぎ込んで完成させた、日本の近代土木史に残る傑作です。
その歴史と技術的価値が国宝・重要文化財として認められたことは、彼らの偉大な功績を改めて称えるものです。
大津閘門アクセス
南禅寺水路閣アクセス
まとめ
2025年8月27日、国宝・重要文化財に指定された琵琶湖疏水は、単なる水路以上の価値を持つ、日本の近代化を象徴する偉大な遺産です。
明治維新で衰退した京都の再興を願い、若き天才技術者・田辺朔朗と当時の知事・北垣国道が成し遂げた一大事業。
その歴史の背景には、数々の困難を乗り越えた人々の情熱と、当時の最先端技術がありました。
今回ご紹介した見どころを巡る旅は、彼らの不屈の精神と、時代を切り開いた力強い物語を感じさせてくれます。
桜並木が美しい春、紅葉に彩られる秋など、季節ごとに異なる表情を見せる疏水の道は、いつ訪れても新たな感動を与えてくれることでしょう。
琵琶湖疏水は、今も私たちの暮らしの中に息づき、京都の街を潤し続けています。
ぜひ一度、その歴史とロマンが詰まった水の道を歩いてみてください。
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