渉成園(枳殻邸)燕申堂の特別公開で幽玄の世界、数寄屋造り別邸を満喫

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京都在住のブロガーKyotaroです。

2025年夏に開催中の第50回・京の夏の旅で渉成園(枳殻邸)の知られざる「燕申堂」特別公開に行って来ました。

東本願寺の飛地境内にあるこの場所は、江戸時代には数寄屋造りの別邸として使われたと伝わる名建築です。

通常は非公開のため、今回の特別公開は貴重な機会、ということで早速行って来ました。

詳しく見ていきましょう。

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燕申堂(えんしんどう)の特別公開、見どころは?

燕申堂(えんしんどう)は、東本願寺の別邸である渉成園(枳殻邸)内にある建物です。

江戸時代に数寄屋造り別邸として建てられ、東本願寺の歴代門首の隠居所や迎賓施設として使われてきた由緒ある建築。

近年まで門首の親族が住んでいたため非公開でしたが、今回の第50回・京の夏の旅で初めて一般公開された必見の文化財というわけです。

燕申堂、数寄屋の名建築で感じる侘び寂びの世界

燕申堂は、渉成園の見学ルートをひと通り進んだ、反対側の出口付近にあります。

燕申堂表門を潜り、苔むした飛び石を渡り、いざ建物の中へ。

まず目を奪われるのは、簡素ながらも洗練されたその造りでしょう。

杉皮葺きの屋根と土壁が、周囲の自然と調和していることに驚かされ、天井の木材には、なんと屋久杉が使用されてる、というからさらに驚かされます。

室内に入ると、木肌の温かみと、光と影が織りなす空間の美しさに思わず息をのみます。

燕申堂1階には主室のほか「停雲居」、茶室「含春亭(がんしゅんてい)」があり、無駄を削ぎ落とした侘び寂びの美学がそこには凝縮されています。

窓から差し込む柔らかな光が畳に落ち、静寂な雰囲気を一層引き立てる、まさに京都の風光明媚な光景がそこにはあります。

茶碗が置かれ、茶の湯がふるまわれたであろうこの場所は、当時の人々の文化的な営みを簡単に想像させてくれる、そんな場所でした。

床の間の掛け軸や、活けられた一輪の花が、控えめながらも確かな存在感を放ち、空間全体に品格を与えているとても素晴らしい空間を堪能できました。

また、2階部分(非公開)は「風月楼」と呼ばれ、全面の戸を開放すると、渉成園全体が見渡せる、そんな贅沢な造りになっています。

燕申堂の庭園と歴史を物語る手水鉢

燕申堂の前に広がる庭園は、建物と一体となって独特の景観を創り出しています。

この庭は、建物から眺めるために造られた、いわゆる観賞式庭園です。

決して広大ではないが、建物との調和を重視し、繊細な意匠がそこかしこに凝らされていることに気付かされます。

特に、庭にある、異様な存在感を放つ手水鉢には、興味深い歴史が宿っています。

この手水鉢は、京都市上京区の御霊神社にかつて存在した三重塔の礎石を転用したものだと伝わり、かつての重厚な塔を支えた石が、時を経て、この静かな庭で水を湛える手水鉢として姿を変えている、というから驚きです。

歴史の重みを感じさせるその手水鉢は、この庭に格別の趣を与えていおり、その存在感を示しています。

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燕申堂の名の由来「燕の釘隠し」

この建物の名にもなっている「燕の釘隠し」は、ぜひ写真に収めたい見どころのひとつです。

通常、釘を隠すための装飾は菊や蝶、梅などが一般的なのですが、燕申堂では愛らしい燕の意匠が使われています。

真っ黒な燕は、光を浴びてさりげなく輝き、細部にまでこだわった職人の技を感じさせてくれます。

燕申堂内に実に25羽もの「燕の釘隠し」が使用されており、羽ばたいてるもの、木に留まってるものなど様々な可愛らしい姿をしています。

なぜ燕が使われたのか、その由来を紐解くと、建物の歴史の深さが見えてきます。

燕申堂の歴史、時代が紡いだ物語

燕申堂・部屋の間にある通路の天井は興味深い造り

渉成園は東本願寺の別邸として、長い歴史を持ち、その中でも燕申堂は、幾度もの変遷を経て、現在の姿にたどり着いたと云われています。

ここでは渉成園とともに歩んできた燕申堂の歴史についてみていきましょう。

江戸時代:作庭と風流の時代

渉成園の歴史は、徳川家光から土地を寄進された東本願寺第13代・宣如上人に始まる。

1641年(寛永18)年に作庭が始まり、石川丈山が造営に関わったとされます。

当時、庭園内に多くの建物が建てられ、そのうちの一つが後の燕申堂へと繋がっていくことになります。

京都御所とも近いこの場所は、貴人たちの文化的交流の場であり、当時は茶会や詩会が盛んに行われたという。

燕申堂も、そうした風流な人々が集う場所として使われていたのでしょう。

幕末:度重なる焼失と再建

幕末の動乱期、京都は戦火に見舞われることになります。

1863年(文久3)には「蛤御門の変」の余波で、渉成園の多くの建物が焼失、燕申堂も焼失してしまいます。

しかし、この危機を乗り越えて明治時代に入ると再建計画がもちあがり、1890年(明治23)に再建されます。

再建後は、東本願寺歴代門首の隠居所や迎賓施設として長年用いられてきた歴史があります。

現代:文化財としての保存と初公開

度重なる災害を乗り越え、現在までその姿を留める燕申堂。

その価値は高く評価され、渉成園全体が国の名勝に指定されています。

長らく門首の親族が住居としていたため、一般には非公開、実際に10年ほど前まで、人がここで生活を営んでいたといいます。

歴史ある建物でありながらも、人々の暮らしと共にあったという事実は、この場所の魅力を一層引き立てています。

2025年、初めての特別公開の開催を実現し、多くの人々にその歴史と美しさを伝える大きな役割を担っているのです。

渉成園(枳殻邸)燕申堂へのアクセスと駐車場について

●渉成園(枳殻邸)燕申堂
TEL:075-371-9210(東本願寺本廟部参拝接待所)
〒600-8190 京都府京都市下京区東玉水町300
◆拝観料金 500円(第50回京の夏の旅・特別公開/2025年7月11日~9月30日まで
※別途、渉成園入園時に庭園維持寄付金(大人700円以上/中高生300円以上/小学生以下無料)が必要
※通常拝観受付を15:45までに通る必要あり
◆拝観時間 9:00~16:30(16:00受付終了)
◆休館日  不定休
◆アクセス 京都駅から徒歩圏内、好立地
・JR京都駅から徒歩約10分
・京都駅から地下鉄烏丸線「五条」駅下車、徒歩約7分
◆駐車場  なし ※周辺コインパークを利用


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まとめ

渉成園内にある燕申堂の特別公開は、単なる歴史的建造物の見学にとどまらず、そこには、長い歳月を経て受け継がれてきた人々の文化や、建物を守り抜いてきた先人たちの想いが息づいていることがよくわかりました。

愛らしい燕の釘隠し、静謐な茶室、そして御霊神社の歴史を宿す手水鉢など、それぞれの要素が訪れる者の心に深い感動を残してくれる、そんな場所でした。

燕申堂を訪れることは、京都の歴史の奥深さに触れる貴重な機会だと思います。

華やかな観光地とは一線を画す、落ち着いた雰囲気の中で、静かに自分と向き合う時間を過ごすことができる場所でした。

通常非公開、今回はまたとないチャンス、と思い飛び込んできました。

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の54歳、フツーの会社員からフリーランスに転身。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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