京都在住のブロガーkyotaroです。
2020年は明智光秀が話題となっていますね。明智光秀といえば“本能寺の変”で織田信長を討ち、日本の歴史上でも大きな事件として現代に語り継がれています。
でも現在の本能寺、実は“本能寺の変”のあとに豊臣秀吉が移築したもので当時の「本能寺」は別の場所にあったのをあなたはご存知ですか?
そう、当時の本能寺の変があった跡地と現在の本能寺はそれぞれ別の場所に存在しているのです。
詳しく見ていきましょう。
本能寺の変があった場所に“本能寺の跡地”がある?
京都の御池寺町に「大本山本能寺」があります。
でも現在の本能寺は1582年(天正10)6月2日に起こった「本能寺の変」の後に移築されたものであり、実際に本能寺の変があった場所とは異なります。
明智光秀が織田信長を急襲し「本能寺の変」で焼失した「本能寺」は堀川四条付近に跡地があるといわれます。
正式には“油小路通蛸薬師”に本能寺跡の石碑が遺されており、堀川四条と少し場所がズレてるのは当時の本能寺がとても大きな敷地面積であったことが伺えます。
実際には寺域は東西150メートル、南北300メートルはあったと云われ、お寺といいながら高い塀と周囲を深い堀で囲まれていた、まるで要塞、城郭のような建物だったのです。
本能寺ならば身の安全を守ることができる、と感じた信長は上洛の際には本能寺に滞在したといいます。
「本能寺跡地」はもともと京都市立本能小学校でしたが1992年に廃校となり、現在は老人デイサービスセンターと京都市立堀川高校が建っています。
現在の大本山本能寺がある場所はわかりづらい?
「本能寺の変」があり焼失した「本能寺」の場所は当時と現在では異なっていたんですね。
現在の本能寺はKyotaroも子供の頃から馴染みがあり、初めて日本史を学んだ小学生の頃は、現在の寺町で「本能寺の変」があり、織田信長が討たれたと思ってました。
さて現在の本能寺は1582年(天正10)「本能寺の変」の後、明智光秀を討った豊臣秀吉が現在の寺町に本能寺を移し、再建されたものです。
大本山本能寺の場所は?
大本山本能寺の場所は、京都以外からお越しの観光客にとって結構、不親切な場所になっているようです。
京都市役所と御池通を挟んだ向かい側(南側)に位置するのですが、御池通からは一切境内が見えない立地になっています。
本能寺への入口も御池通側からは目立たず、山門は寺町通商店街の中にあるので御池通り沿いから入口を探してる人は迷うことが多いとか。
まずは御池通からアーケードのある商店街(寺町通)に入り、南下して50mも歩けば左手に本能寺の山門が見えて来ます。
本能寺の境内見どころ
境内は非常にわかりやすく、表門(寺町商店街)から入ると正面に大きな本堂が見えます。
山門入ってすぐ右手には寺務所のある「大賓殿宝物館」があります。ここでは企画展示会が行われており、5月26日~9月30日は「本能寺寺宝典と信長×光秀展」が行われています。
本堂裏側には信長公の墓「信長公廟」があり、本能寺の変で戦死した兵士の供養塔や日承聖人の墓が本堂裏側の境内に並ぶように建っています。
また「信長公廟」の横にはイチョウの巨木が立ち、「火伏せのイチョウ」と呼ばれ、京都市の保存樹に指定されています。
また、境内の南側には本能寺の塔頭寺院7ケ寺が並立しており、本能寺の宗派がいかに強大であったかを物語っています。
「火伏せのイチョウ」奥からは河原町通りへ、本堂の北側に隣接する宿泊施設「本能寺会館」と立体駐車場の間から御池通りへのそれぞれ出入り口があります。
大本山本能寺参拝に所要する時間は?
本能寺参拝だけですと本堂→信長公廟→供養塔→日承聖人の墓、とお参りして20分もかからないくらいです。
でも企画展示会が行われている「大賓殿宝物館」(通常大人500円/企画展示会大人700円)を見学する場合はプラス20~30分は時間が必要でしょう。
史跡としては「本能寺の変」が実際にあった場所が他にあるため、そこまで参拝客が多いという印象はなく、隣接する本能寺会館は修学旅行生がたくさん宿泊してるイメージがあります。
大本山本能寺へのアクセスと駐車場について
■大本山本能寺
TEL:075-231-5335
〒604-8091 京都市中京区下本能寺前町522
拝観時間 6:00~17:00(寺務所は9:00~17:00)
拝観料金 境内自由
大賓殿宝物館 一般500円 中高校生300円 小学生250円
アクセス 阪急京都線「河原町駅」から徒歩が便利
・阪急京都線「京都河原町駅」下車、徒歩10分
・地下鉄東西線「京都市役所駅」下車、徒歩2分
・市バス「三条河原町」下車、徒歩1分
・京阪京都線「三条駅」下車、徒歩5分
駐車場 あり(30分200円)※駐車台数20台
まとめ
2020年は明智光秀を主人公とした「麒麟が来る」が話題となる一年。
なぜ、織田信長の家臣であった明智光秀は主君であった信長公を「本能寺の変」で急襲しなければいけなかったのか?
諸説はありますが、日本史における一大事件の舞台となった「本能寺跡地」と「本能寺」を歩いてめぐることも可能です。
京都の繁華街ど真ん中にあるスポットなので京都観光の際にぜひ足をのばしてみてはいかがでしょうか?
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