常照寺は吉野太夫ゆかりの地、境内見どころと行き方、駐車場について

神社仏閣(観光)
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京都在住のブロガーKyotaroです。

京都の鷹峯三山を眺める場所にある「常照寺」はあの天下の名妓と云われ、一世を風靡した二代目吉野太夫ゆかりのお寺です。

鷹峯は本阿弥光悦翁が工芸村を築こうとした自然豊かな地で開創の日乾上人と吉野太夫を結びつけたのも光悦翁と云われています。

今回は境内随所に吉野太夫を感じながら拝観できる寺院の紹介です。

詳しく見ていきましょう。


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常照寺と吉野太夫、境内見どころについて

常照寺は天下の名妓・吉野太夫ゆかりの地として有名です。

参道を進んだ入口にある朱塗りの山門は吉野太夫が23歳の時に巨財を投じて寄進したものと云われ、開創・日乾上人に帰依、厚い信仰心を伺い知ることができます。

常照寺と吉野太夫の関係、そして境内の見どころについて見ていきましょう。

名妓・吉野太夫とは?

吉野太夫とは江戸時代の京都、六条三筋町にあった遊郭・島原の遊女のことです。

吉野太夫を名乗る遊女は複数いたと云われ、特に天下の名妓として一世を風靡したのが二代目・吉野太夫こと松田徳子です。

吉野太夫(二代目)は和歌、連歌、俳句、書道、茶湯、香道、音曲や囲碁、双六などあらゆる芸に秀でた美女として遠く唐の国(中国)までその名を馳せたといいます。

本阿弥光悦翁の縁故により常照寺開創の日乾上人に出会いますが、すぐにその学徳に帰依し1628年(寛永5)23歳のときに巨額の私財を投じて朱塗の山門を寄進しました。

吉野太夫は26歳の時に豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき)に身受けされて結婚、その後、38歳という若さでこの世を去り、遺言によって常照寺本堂裏の墓地に葬られました。

今でも吉野太夫の墓地が境内に残されています。

常照寺の境内見どころを紹介

続いて吉野太夫ゆかりの常照寺の境内見どころについて紹介します。

境内の至る所に吉野太夫を偲びながら拝観できるスポットがあります。詳しく見ていきましょう。

山門(赤門)

吉野太夫が本阿弥光悦翁を通じて開創・日乾上人に出会った際にその学徳に帰依、23歳の時に巨財を投じて寄進した朱塗りの門です。

別名「吉野門」と呼ばれる赤門は新緑の季節は青もみじのトンネルの奥に映える景観を楽しむことができます。

帯塚

山門(赤門)を潜った先、すぐ右手にあるのが「帯塚」です。

女性の心の象徴「帯」に感謝して祈りを捧げる全国初の「帯塚」が1969年(昭和44)5月に吉野門のほとりに建立されたのが始まりです。

帯塚の塚石は四国の吉野川産の自然石でとても珍しい帯状をしています。

本堂

常照寺は本阿弥光悦とその子である光瑳の発願により身延山第二十一世日蓮宗中興の祖と敬仰される日乾上人を招いて開創された鷹峯檀林(学寮)の旧跡としても知られています。

本堂は歴史を感じさせる建物で正面に見える「梅壇林」の扁額は本阿弥光悦翁の筆によるものです。

また本堂内では吉野太夫についてのビデオ上映がされているので拝観前に拝聴することで心静かに境内拝観を楽しむことができます。

常照寺信仰の中心地ともいえる本堂ですが、かつては境内に大小併せて三十余棟の堂宇が建ち並んでおり、勉学や修行に勤しむ学僧で賑わっていたと云われています。

遺芳庵(いほうあん)

吉野窓で有名な茶室で本堂の裏側にある吉野太夫ゆかりの「遺芳庵」。

本堂の西側から通路沿いに進むと本堂裏に位置する「遺芳庵」へ辿り着くことができます。

<聚楽亭>

途中すぐ見えてくる聚楽亭と間違えやすいのですが、本堂の裏側へ回り込んだ先にあるのが「遺芳庵」です。

現在も「遺芳庵」では毎月、佳人を偲んでの茶席が設けられ、釜がかけられて賑わいます。

吉野窓

吉野太夫がたいそう好んだという遺芳庵の中にある丸い大円の窓は「吉野窓」と呼ばれており、とても風情があります。

実はこの「吉野窓」は真円ではなく、丸い窓の下の部分が一直線、平になっているのです。

これは仏教の教えにある完全な円とは即ち“完成した悟り”を表し、吉野太夫はこの窓を眺めながら自らを戒めていたと云われています。

そう、満月ですら翌日には満ち欠けていくのに自分はまだまだ悟りの境地にはない、といった戒め、仏教の教えを実践していたのかもしれないですね。

吉野太夫の墓

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吉野太夫は1643年(寛永20)8月25日に38歳という若さでこの世を去ります。

生前の遺言により常照寺境内に墓を建立し、今でも吉野太夫はこの地で眠っています。

26歳の時に出会った豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき)との名高いロマンスは後に戯曲「桜時雨」にまでなった、まさに当時最高のラブストーリーです。

佳人薄命とはまさに吉野太夫のことと言っても過言ではありません。

開山廟

本堂の右裏手、常照寺境内墓地があり、吉野太夫の墓近く、墓地の中央にあるのが開山廟で日乾上人の五輪塔(お墓)が祀られています。

欅の扉にはとても珍しい形をした五七の桐が彫刻されています。

常富大菩薩

本堂に向かって左手に進んだ境内の奥には新緑に包まれたなかにある赤い灯籠が目印の堂宇が鎮守社・常富大菩薩です。

享保年間に学寮にいた智湧という常人と異なる学僧が山内で起こる奇端不思議の噂となりますが、学頭職空妙院日善上人がある夜に部屋を覗いてみたところ白狐が一心に書見していました。

姿を見られた白狐はやむなく常照寺を去り、摂津能勢妙見山に昇って修行を重ねて「常富大菩薩」となられたと云います。

今でも智湧が常照寺を去る際に壇林首座苑に道切証文、起請文という狐の印が押されたものを書いて残していったものは常照寺の霊宝として保存されています。

鬼子母尊神

常照寺の本堂から北西、境内最奥にあるのが鬼子母尊神堂で三体の鬼子母尊神像と十羅刹女をお祀りしています。

鬼子母尊神とはもともと子供を食べる悪鬼が仏の教えを聞いて懺悔、改心して子育て、子授けの神様となり、信仰する人々を守護する神のことで十羅刹女はその眷属のことです。

堂内に右の厨子に行者守護を表す鬼面の鬼形鬼子母尊神、左の厨子に子安の母形鬼子母尊神がお祀りされ、正面には鬼面をしたお腹に子供を宿し、足元に男女の子供を連れた行者守護、子安の両面を示す双身鬼子母尊神が祀られています。

白馬池と白馬観音

本堂の北西、鬼子母尊神堂へ進む手前には白馬池へと続く参道入口があります。

この周辺は自然のままの状態でやや険しい参道となっていますが歩いて白馬池まで下りることができます。

白馬池のほとりには白馬観音像が祀られています。

吉野太夫を偲ぶ催し花供養とは?

吉野太夫花供養とは、常照寺で毎年4月第二日曜に行われる二代目吉野太夫を偲ぶ催しの事ですが、ここ数年は新型コロナ感染拡大の影響から開催が中止となっています。

源光庵がある鷹峯交差点から常照寺まで太夫道中が行われ、吉野太夫に扮する花魁が内八文字を踏んで進む美しい姿を見学することができます。

「島原太夫道中」と呼ばれる鷹峯交差点から常照寺までの太夫道中はどなたでも見学ができますが、境内への入門、お茶席、お蕎麦席は有料(5,500円)となっています。

当時、十四歳で太夫となった二代目吉野太夫は「寛永三名妓」のひとりに数えられるほどの存在で容姿端麗に加え、和歌や俳諧、書道、茶道、琴、琵琶、香道、華道と諸芸に秀でていたことからその名声は唐の国(中国)にまでとどろくほどの存在であったと云います。

4月の桜が咲く季節に京都の風物詩のひとつとしての「吉野太夫花供養」の復活を願うばかりです。

常照寺へのアクセスと駐車場について

常照寺への行き方は京都駅より市営地下鉄烏丸線で北大路駅まで乗車、北大路バスターミナルより市バス北1系統玄豚行き乗車で「鷹峯源光庵前」下車(徒歩1分)が便利です。

また参拝者専用の無料駐車場も完備してるため、レンタカーなどご利用の場合は桜時期や紅葉時期の週末、連休を避けて車で行くのも時間効率的には良いでしょう。

周辺には歩いてすぐの場所に悟りの窓、迷いの窓で有名な「源光庵」や本阿弥光悦翁ゆかりの「光悦寺」があり、併せて観光したいスポットです。

●寂光山常照寺
TEL:075-492-6775
〒603-8468 京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45-1
■拝観料金 大人400円 小学生200円
■拝観時間 8:30~17:00
■アクセス 市バス「鷹峯源光庵前」下車すぐ
・地下鉄烏丸線「北大路駅」より北1系統玄琢行き乗車
・四条大宮(阪急電車)より6系統玄琢行き乗車
■駐車場  参拝車専用駐車場あり(無料30台)


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まとめ

今回は鷹峯にある京都でも有名な遊郭、島原の名妓・二代目吉野太夫ゆかりの常照寺の紹介でした。

鷹峯の自然に囲まれた景観を誇り、春には桜、秋には紅葉の名所として人気がある寺院でもあります。

境内に吉野太夫の墓、吉野太夫がたいそう好んだという「吉野窓」など江戸時代に活躍した京都の遊郭・島原の名妓を偲ぶ、どこか女性らしさ、母性を随所に感じさせる寺院でもあります。

ここ数年は二代目吉野太夫を偲んで開催される「吉野太夫花供養」はコロナの影響で中止になっていますが、次年度以降の開催を心から願うばかりです。

比較的訪れる人が少ない季節、特に青もみじの季節は青々とした新緑が眩しく、のんびりと拝観ができるのでKyotaro個人的には初夏の拝観をおすすめします。

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