“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。
京都在住のブロガーKyotaroです。
京都の東山五条といえば、近隣に鴨川が流れ、国立博物館があり、清水寺、豊国神社、方広寺など有名な寺院、神社があるエリアで京都観光のメッカ。
五条通から一本、南の通に入るとそこは閑静な住宅街が広がり、ほとんど人とすれ違うことのない場所に「河井寛次郎記念館」はあります。
京の町並みに溶け込むかのような威風堂々とした「京町家」こそ昭和の名陶工といわれた河井寛次郎氏の住宅兼工房。
かつて焼物の町として栄えた五条坂の歴史を今も感じることができる記念館の紹介です。
河井寛次郎記念館、五条坂の歴史を物語る登り窯
まず「河井寛次郎記念館」と聞いてKyotaroはよくある、かつての河井寛次郎氏の住宅を改装した展示資料館だと思い、訪ねたのですが、その先入観は玄関を入った瞬間に打ち砕かれました。
「河井寛次郎記念館」は、まさにかつて昭和の名陶工が暮らした住宅兼工房を当時の面影を余すところなく、当時そのまま公開する貴重な住宅建築なのだということがよくわかります。
しかもいちばんの見どころは、名陶工がかつて使用していたという「登り窯」が住宅の奥、建物の裏側に現在も遺構として存在しているということに非常に驚かされました。
名陶工・河井寛次郎とは?
河井寛次郎といえば大正から昭和にかけて活躍した京都の名陶工で数多くの陶芸作品を残しており、その作品を「河井寛次郎記念館」でも展示しています。
有名なところでは、昭和1926年(大正15)に提唱された民藝運動の中心人物として思想家の柳宗悦、同じく陶芸家の浜田庄司らとともに活動したことは有名です。
また、名陶工としてのみならず、木彫や独自の感性を言語化し、随筆し、書物として残すことにも長けており、陶芸以外の作品にも館内で触れることができます。
ひとりの職人であり、芸術家として「美を追求する価値観」を見出した人物ですが、人間国宝や文化勲章を辞退、ひたすら無名のまま仕事に励む、日々の暮らしに喜びを感じ、生涯を送った“無冠の陶芸家”という側面も持ち合わせています。
河井寛次郎の登り窯を間近に
河井寛次郎記念館、玄関から1階の囲炉裏の間を出ると離れの間に茶室があり、さらにその先には大きな素焼き窯があります。
そこから展示室がある棟に辿り着き、さらにまだ奥に扉があるので進むとそこにとても大きな「登り窯」が斜面に沿って、まるで時が止まったかのように存在しています。
規制により1971年(昭和46)に使用されなくなったものが、今も遺されているのです。

河井寛次郎氏が使用していた2番目の窯部屋
登り窯には横に連なる部屋が複数あり、下から2番目の部屋を河井寛次郎氏が使っていた、との紹介があります。
一見、とても大きい窯でしかも部屋も複数あることから、当時は共同窯として近隣約20軒もの陶芸家たちと一緒に使用していました。
河井寛次郎記念館がある五条坂付近は当時、焼き物の町として多くの窯元が存在しており、同じ地域に多くの作家や専門家が集まっていたのです。
現在も残るこの登り窯は河井寛次郎氏が30歳の時に五代・清水六兵衛氏より譲り受け、「鐘?窯(しょうけいよう)」と名付けたものと云われています。
当時は素焼き窯で焼かれた作品を釉薬をかけた後にこの登り窯で1350℃程度の高温で焼きあげます。
本当に臨場感あふれる窯で周囲に積まれた資材もそのまま残されており、実際にこのレベルの登り窯が京都の街中に残されているんだ、ということをこの時、初めて知らされました。
河井寛次郎記念館で感じる“暮らしが仕事、仕事が暮らし”
「河井寛次郎記念館」は単なる展示を目的とした記念館ではなく、河井寛次郎氏の住宅建築そのものを現代に残して展示している、といったほうがしっくりくる施設です。
それは河井寛次郎氏の「暮らしが仕事、仕事が暮らし」という言葉通り、単に名陶工としての作品展示を鑑賞するのではなく、当時の生活、暮らしの様子をそのまま現代にいながら感じられる、そんな場所です。
その証拠に当時の住宅建築としても見事な京町家造りの建物で、驚かされたのは見学者の半分以上は海外からの観光客であったという事実です。
もちろん、展示スペースもあるのですが、冒頭に紹介したとおり、作品展示をメインとした記念館という先入観はあっさり打ち砕かれました。
そんな館内の様子、見どころを続けて紹介していきましょう。
1階:囲炉裏の間
玄関受付を入ってすぐの部屋が囲炉裏の間で、今は滅多にお目にかかれない柱時計や2階へと上がる箱階段があることにまず感動します。
囲炉裏は普通の周囲を囲む感じではなく、半分が畳の間に囲まれ、半分は手前に椅子テーブルを置く、ちょっと変わったスタイルの囲炉裏です。
囲炉裏をはじめ部屋のあちこちに木彫の作品や大きな壺、受付前が展示されているのですが、とても自然に置かれてあるため部屋の生活の一部としてそこにある、というそんな臨場感すら漂っていました。
建築の視点でも当時の貴重な町家造りとなっているので、建築好きには堪らない空間になっています。
海外の観光客はこういう古い日本建築に惹かれてきている人も多いようです。
2階:居間と書斎
2階へは囲炉裏の間にある箱階段をおそるおそる上がります。
あがった先には大小の居間と書斎があります。
特に書斎は当時の面影がそのまま残されており、河井寛次郎氏の芸術家としての個性が現れた部屋としてとても希少な空間になっています。
書斎の椅子や書斎机がそのまま残されており、当時の様子を想像体験できる、そんな場所という印象を受けました。
書斎の椅子には実際に座ることもできます。
また窓辺には猫(えきちゃん)がポカポカ陽気に居眠りしながら寛ぐ様子も見ることができました。
吹き抜け
2階のもうひとつの見どころは見事な吹き抜けです。
箱階段をあがるとすぐ右手に見えてきます。
京町家ならではの空間といいますか、1階から荷物を2階へ釣り上げるロープもそのまま残されており、当時の生活シーンを感じることができます。
ちょうど囲炉裏のあるあたりの様子を2階から眺めることができます。
中庭
1階の囲炉裏の間から外に出ると中庭があります。
この中庭は、当時河井寛次郎氏が釉掛けや絵付けをしていたという場所です。
寛次郎氏が娘さんが生まれた時に植えたという当時仕様の藤棚もあります。
ほっこりできる空間です。
展示室
囲炉裏の間から施設(住宅)裏手にある登り窯へ行く途中に展示スペースがあります。
前半は河井寛次郎氏の愛用品などの遺品を展示、途中に茶室という名の離れの間があります。
当時は茶室として使用されていた?ということなのか?現在は茶室にある炉の備えが部屋にはなく、普通の離れの部屋のようになっています。
河井寛次郎記念館へのアクセスと駐車場について
●河井寛次郎記念館
TEL:075-561-3585
〒605-0875 京都府京都市東山区五条坂鐘鋳町569
■入場料金 大人900円 高校大学生500円 小中学生300円
■開館時間 10:00~17:00(入館受付16:30まで)
■休館日 月曜日(祝日の場合は翌日が休館)
※他、夏期休館、冬期休館が別途あり。HPで確認を
■アクセス
・京阪電車「清水五条駅」下車、徒歩10分
【京都駅より】
・市バス206系統「馬町」下車、徒歩1分
・洛バス100号「五条坂」下車、徒歩4分
【四条河原町より】
・市バス207系統「馬町」下車、徒歩1分
■駐車場 なし。周辺コインパークを利用。
まとめ
今回は京都市内でも珍しい、五条坂の「登り窯」が施設内にしっかり残る「河井寛次郎記念館」の紹介でした。
当時の面影をそのまま体感できる記念館で単なる展示スペースだけの資料館ではないことにまず感動、そして河井寛次郎氏が生活していた空間で当時の面影を随所で感じながら、臨場感あふれる住宅建築を体験できる価値ある施設でした。
周囲は閑静な住宅街なので本当に人通りの少ない場所ですが、入口ドアを開けると、なんとも驚き!多くの人が中に見学に来られている、しかも半分以上が海外からの観光客という状態でした。
周辺は清水寺をはじめ、京都の名刹、古刹、そして河原町や祇園といった繁華街も比較的近いのでアクセスは非常に便利な場所なので海外の方も来やすいのかもしれません。
というか、海外から来た人が「河井寛次郎記念館」の存在を知っててわざわざ見学に来るのが凄い、と思います。
せひ、あなたも京都へお越しの際は、京町家を実体験できる施設でもあるので訪れてみては如何でしょうか?
コメント