京都在住のブロガーKyotaroです。
今回は京都を代表するミステリースポット、ちょっと怖い心霊スポットの紹介。
酒呑童子退治にまつわる伝説にゆかりのある地「首塚大明神」ですが、伝説を最後まで聞くとしっかりお参りしてKyotaroはふたつのお願いをしてきました。
興味本位の紹介ではなく、京都にあるスポットのひとつとしてしっかりまとめました。
でもひとりで行くのはやめましょう。
「首塚大明神」は酒呑童子の首が眠る恐ろしいスポット
以前、当ブログのローカル情報紹介で樫原三ノ宮神社における源頼光の酒呑童子退治伝説について紹介しました。
いずれその「酒呑童子退治の伝説」の地である京都市西京区大枝の山中にあるミステリースポット「首塚大明神」も紹介します、とお伝えしてましたが、早速の紹介です。
ここは京都を代表する心霊スポットとして有名ですが、確かに9号線・老ノ坂トンネル手前の道に入って神社へ向かう道中にも廃墟があったり、恐ろしい雰囲気満点です。
「首塚大明神」は車でないと行けない秘境
「首塚大明神」へのアクセスですが、車でないと厳しいでしょう。
京都市内から国道9号線の老ノ坂トンネル手前を左折して山中に入るのですが、アクセスは車でないと厳しいですね。
自転車でも行けなくはありませんが、ちょうどう京都市内から亀岡市内へ向かう途中の峠にあり、国道も車通りが多く危険です。
路線バスを乗り継いでいくという手もありますが、バス停から徒歩で薄気味悪い廃墟がある山中を徒歩で移動するのもちょっと厳しいですね。
どうしても行く場合は車で行き、かつなるべく大型車では行かないことをおすすめします。ほとんど人も来ないスポットですが、道路は離合が出来ません。念のため。
廃墟を通り抜けて「首塚大明神」へ到着
途中T字路があるので左側「首塚大明神」の方向へ車を進めていきます。
すると道が行き止まりになっています。「この先ガス管」の表示があり、行き止まり、その手前右手に石造の鳥居が見えてきます。そこが「首塚大明神」です。
鳥居と「首塚大明神」の石碑が建っていますが、綺麗でまだ建ってそう年月が経っていない感じを受けます。
すでに怪しい景観が漂います。今回は真夏の暑い晴天の昼間に行ったのでそこまで“恐怖”は感じませんでした。
鳥居から参道はあまり整備されておらず、自然そのままという感じです。
厳かな雰囲気の「首塚大明神」を参拝
参道を進んでいくと左手の山中に「首塚大明神」の本殿が見えてきます。
小高い丘の上に鎮座する「首塚大明神」へ到着。社殿はひとつでとてもこじんまりしていますが、社殿前の鳥居横の木が黒焦げて縦に引き裂かれたような状態で立っています。
この景観が恐怖感をさらにそそりますね。
社殿を参拝、建物は小さいですがかなり古く、傷んでる様子が薄気味悪さを演出してます。
社殿横には鳥居、擁壁等は昭和61年3月に完工、との石碑があり、その頃からの建造物なんですね。でも鳥居は30年以上経ってるような感じがしないほど綺麗でしたが…。
社殿の背後に回ると柵で囲いがされた塚があり、この塚の下に“酒呑童子の首”が埋められてると言います。とにかく「恐ろしい~!!」
まさに首塚が社殿の背後にありました。柵で囲まれた首塚の前には小さな6匹の蛙の像がブロックの上に安置されています。
「何か意味があるのかな?」
「首塚大明神」の下にある社務所(廃墟)が気になる?
「首塚大明神」をお参りした後、参道とは反対側に社務所らしき建物があります。
反対側におりて近くで見てみると倉庫のような建物です。
左端に個室があるようですが、どうやら入口はなく、木の窓があるのですが、半開きになっていて中は廃墟状態。
ここまで来るとこの建物は何?この廃墟の入口のない個室は何の為にあるのか?不思議な感覚とともに恐怖が湧いてきます。
そのまま「首塚大明神」を後にして帰りましたが、とにかく謎多き神社でした。
「首塚大明神」から感じ取るリアル恐怖
宗教法人化を「首塚大明神」としてしてるようなので管理者がいるようではあります。
近くには「酒呑童子退治の伝説」にも登場する「子安地蔵尊」もあるのでなかなかリアル恐怖を感じさせるスポットです。
くれぐれもひとりでは行かないように、かといって複数名で冷やかし半分で行くのもやめましょう。特に霊感の強い方は注意ください。
「首塚大明神」にまつわる酒呑童子退治の伝説
鬼が棲む山といえば、丹波国の大江山が有名であり、言い伝えによると酒呑童子が棲んでいた山も大江山となっています。
でも「首塚大明神」があるのは京都市と亀岡市の境界付近で京都市内にあり、伝説では大江山が住処となってますが、京都市西京区大枝の“おおえ”繋がりでこの地が住処とも云われてるようです。
陰陽師のよって暴かれた酒呑童子の悪行
酒呑童子は“鬼界の首領”であり、手下の鬼を引き連れて京の都に現れては金銀強盗、婦女をさらう悪行の数々を行っていたことで知られています。
都で起こる数々の不穏な出来事に都の人々も不安な日々を過ごしていました。
ある日、一条天皇が陰陽師“安倍晴明”に「一体、誰の仕業なのか?」調べるよう指示し、占ったところ、酒呑童子の仕業であることを突き止めます。
そこで一条天皇は当時の武将、源頼光とその家来に酒呑童子を退治することを命じたといいます。
酒呑童子を討伐する源頼光の作戦とは?
酒呑童子をはじめ茨木童子など屈強で恐ろしい鬼たちにまともに立ち向かったのでは勝機はないと考えた源頼光はある作戦に出ます。
995年(長徳元)に源頼光とその家来達は酒呑童子討伐へ出発し、住処へ山伏に扮して潜入します。
酒呑童子は読んで字の如く、酒が大好きで山伏に扮した源頼光たちは酒呑童子に酒を振る舞って泥酔させ、気持ちよく眠りにつかせ、その寝所を襲撃する、という作戦を企てます。
その作戦は見事成功し、酒呑童子が眠っている間にその首を切り落とすことに成功します。
酒呑童子の首を京の都へ持ち帰ろうと老ノ坂に差し掛かった時、子安地蔵から「鬼の首は不浄なものであり、都に入れるべきではない」とお告げがあったといいます。
それから酒呑童子の首はその場からピクリとも動かなくなったといいます。
源頼光の家来四天王にあの“金太郎”がいた?
源頼光の家来は四天王と呼ばれ、その中のひとりに坂田金時こと“足柄山の金太郎”がいました。
その“足柄山の金太郎”の怪力をもってしてもびくともしなかったという酒呑童子の首。
やむを得ず、一行は首をその地に埋葬したといいます。
酒呑童子は斬首された死に際に“今までの罪を悔い改め、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを誓った”と云われ、現在の場所に「首塚大明神」として祀られました。
「首塚大明神」は首から上の病気に霊験あらたかな大明神である、と伝承が残ります。
実はKyotaroもお参りした際に、成人病のひとつである「脳梗塞」など恐ろしい病気とは無縁でありますようお願いをしてきました。
ただ単にビビッて参拝するのも馬鹿馬鹿しいですからね。
酒ヤクザだからわざわざ京都まで酒呑童子煽りに来た
(ちなみにわりとガチで鬱蒼とした道なき山道にある)#酒呑童子 #首塚 #首塚大明神 #京都 #心霊スポット #心霊 #酒 #酒クズ写真展 #酒ヤクザ #滅びよ人類 pic.twitter.com/NdW0df2cxZ— あかり(うに)@アナコンダ (@jinro_uni) June 7, 2020
【No.0728:首塚大明神】京都府京都市西京区大枝沓掛町にある神社。平安時代初期、源頼光らにより討伐された酒呑童子の首級が祀られたという。「心霊写真が撮れる」「鳥居をくぐると災いが降りかかる」という噂がある。 pic.twitter.com/V2ZTlgGEDr
— 【閲覧注意】心霊スポット (@SpiritSpots_) June 11, 2020
首塚大明神へのアクセスと駐車場について
■首塚大明神
〒610-1106 京都府京都市西京区大枝沓掛町
拝観料金 無料、参拝自由
拝観時間 自由参拝
アクセス ※最寄り駅はなし
車でアクセスしましょう。
駐車場 なし。路上駐車
まとめ
今回は京都でも有数の心霊スポット、ミステリースポット「首塚大明神」の紹介でした。
酒呑童子といえば、昔話にもよく登場する架空の存在ですが、ここでいう“酒呑童子”とは当時で言う“疫病”“疾病”を擬人化したものではないか?と云われています。
“疫病”や“疾病”から都を守るため、その根源を絶やすための人々の願いから生まれた伝説なのかもしれません。
現代も“新型コロナウィルス”という“疫病”の流行に世界人類の命、そして経済活動が脅かされていますが、一日も早い終息もKyotaroは祈念してきました。
“新型コロナウィルス”こそ現代版“酒呑童子”のような存在なのかもしれませんね。
頑張って皆で協力し合って退治しようではありませんか。
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