京都大好き京都在住のブロガーKyotaroです
今回は京都の四条河原町から鴨川を渡り、祇園の八坂神社参道から高台寺、圓徳院前を通り抜け、維新の道を経て「京都霊山護国神社」まで歩いて行って来ました。
幕末の京都を駆け抜けた志士、1,300人余りの墓地があることで知られる「京都霊山護国神社」には、あの“坂本龍馬”と“桂小五郎(木戸孝允)”のお墓があります。
ここは幕末の志士たちをすごく身近に感じることができるスポットです。
詳しく見ていきましょう。
京都霊山護国神社まで維新の道を通り抜ける
「京都霊山護国神社」は維新の道の先、東山三十六峰のほぼ中心に位置する霊山に鎮座する幕末維新の志士たちが眠る大霊場史跡です。
今回は四条河原町から歩いて行って来ました。
途中に八坂神社や高台寺、ねねの道を通り抜けて行くので、ある意味“寄り道”しないほうが難しいかも。
四条河原町から京都霊山護国神社まで歩いて何分?
今回は徒歩で寄り道せずにのんびり歩いて「京都霊山護国神社」まで約20分で辿り着けました。
四条通りから八坂神社を経由、“ねねの道”から“維新の道”を通り抜けるルート。
約20分というのはあくまで途中“寄り道”したくなる誘惑に負けず「京都霊山護国神社」を目指した場合の所要時間です。
秋の行楽シーズンなどは八坂神社まで続く祇園の商店街(四条通り)が観光客で渋滞するので四条大橋から八坂神社まで10分以上はかかってしまう事もあります。
八坂神社まで10分以上かかった場合、「京都霊山護国神社」まで歩いて30分はかかります。
見どころ満載、退屈しないエリアを通り抜け
四条河原町から四条大橋をわたり、京都南座前から始まる八坂神社参道へ。進行方向突き当りが八坂神社で西門から南門へ境内近道(ショートカット)をさせて貰いました。
八坂神社をあとにして高台寺方面へ進み“ねねの道”へ。
“ねねの道”沿いに豊臣秀吉と北政所ねねを祀る「高台寺」と北政所ねねが晩年を過ごしたという「圓徳院」の前を通り抜けて“維新の道”へ。
“維新の道”へ入ると二寧坂への入口がありますが、そこを通過すると大きな石鳥居が建っています。
“維新の道”はまっすぐ「京都霊山護国神社」まできつい登坂になっており、この時期は少し汗ばみます。
予め計画的な観光の予定を立てよう
四条河原町から八坂神社や清水寺があるエリアは、名所旧跡、神社仏閣も非常に多く、普通に歩いてめぐると次から次に気になるスポット、お店が集中しています。
この凝縮エリアの見どころを抑えて観光するためには効率よく回っても丸一日は時間が必要と言っても過言ではありません。
そんなエリアを通り抜けて今回は朝一番に「京都霊山護国神社」に行き、坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓にお参りして、二人の墓前から京都市街を一望すると決めて目的地へ向かう。
よく“行き当たりバッタリ”という言葉を聞きますが、京都観光においてはおすすめ出来ません。
特に春や秋の観光シーズンになるとタイムロスが多くなり、思いのほか観光地をめぐることができず、一日が終わることも多々あるので事前に計画的な観光プランを立てましょう。
京都霊山護国神社で坂本龍馬と桂小五郎の墓所をお参り
京都霊山護国神社は高台寺駐車場付近から坂道を昇りますが、この坂道が“維新の道”と呼ばれています。
それなりの坂道で運動不足の人は結構、こたえます。
“維新の道”の坂道を昇り切ったところに「京都霊山護国神社」「坂本龍馬 中岡慎太郎の墓」の看板が見えてきます。
京都霊山護国神社
「京都霊山護国神社」は歴史ファンにはたまらないスポットです。
幕末動乱の時代に京の街を駆け抜けた“維新の志士”を奉祀するため、大政奉還後の1868年(明治元)に明治天皇の詔によって創建されました。
日本初の「霊山官祭招魂社」として京都東山三十六峰の中心に位置する霊山に鎮座し、境内墓地には池田屋事件や禁門の変などで命を落とした1,300余名の志士が合祀されている。
その後、1939年(昭和14)に現在の「京都霊山護国神社」と改称します。
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
「京都霊山護国神社」の境内にある広大な墓地は東山の斜面にあり、神社境内の墓地入口から入場(大人300円)して石段をあがる斜面沿いに墓地が続きます。
その中腹に「坂本龍馬・中岡慎太郎の墓」が並ぶように建っており、二人の墓地のすぐ隣には、近江屋での事件で巻き添えになった「藤吉の墓」もあります。
幕末動乱の時代、多くの若者たちが討幕のために立ち上がり、その命を落としてこの「京都霊山護国神社」に眠ると言いますが、その多くは遺骨が納められていない招魂塔です。
近江屋で暗殺された坂本龍馬、中岡慎太郎、禁門の変で命を落とした長州藩士・久坂玄瑞など京都で命を落とした志士たちは境内墓地に新骨が納められています。
墓前から眺める京の街
「坂本龍馬・中岡慎太郎の墓」の隣には二人の銅像が京都の街並みを見守るように安置されています。
京都の四条河原町界隈の街並みから北山、愛宕山、京都西山連山、京都駅周辺の街並みを見渡すことも出来ます。
「龍馬先生、中岡先生」にお参りした後、二人が駆け抜けた京の街並みを眺めていると日本のために命を落とした幕末の志士たちのことをとても身近に感じ、不思議な気持ちになります。
桂小五郎(木戸孝允)・幾松の墓
明治新政府で活躍したという長州出身の桂小五郎改め、木戸孝允とその妻幾松の墓も「京都霊山護国神社」にあります。
桂小五郎(木戸孝允)のお墓は招魂碑ではなく、新骨が埋葬されており、墓地の中でも一番奥の高台に眠っておられます。
京都霊山護国神社の墓地は明治維新前に亡くなった多くの志士たちを祀ってるのですが、桂小五郎のように明治維新後に活躍した人物の墓があるのは珍しいといいます。
幕末を駆け抜けた志士たちの墓を参拝して
他にも吉村寅太郎、高杉晋作などの墓もあるのですが、遺骨が埋葬されることなく招魂碑のみの志士も非常に多いです。
墓地は東山・霊山の斜面にずらっと並んで建っており、幕末動乱の時代、彼らが何を思って国のために命を散らしたのか?明治維新を見届けることなく命を落とした無念は?
このように幕末動乱の時代に色んな思いを馳せて参拝をしてると「坂本龍馬・中岡慎太郎」など日本史に出てきて活躍した志士たちをすごく身近に感じることができます。
京都霊山護国神社へのアクセスと駐車場について
■京都霊山護国神社
TEL:075-561-7124
〒605-0861 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
拝観時間 8:00~17:00
拝観料金 境内自由
墓地拝観料 大人300円 小中学生200円
アクセス
・阪急京都線「京都河原町駅」下車、徒歩20分
・京阪京都線「祇園四条駅」下車、徒歩18分
・市バス「京都駅」発206系統「東山安井」下車、徒歩8分
駐車場 参拝者専用駐車場なし※周辺コインパーク利用
まとめ
幕末といえば坂本龍馬・中岡慎太郎の近江屋での暗殺、新選組の名を世に知らしめた池田屋騒動、長州と幕府軍が衝突した京都御所での戦闘・禁門の変など歴史が動いた出来事が非常に多い時代。
墓地は墓石や招魂碑がずらり並んでおり、初めて行く人には誰のお墓がどこにあるのか?全く分からない状態だと思うので事前に調べてから行くようにしましょう。
「坂本龍馬と中岡慎太郎」「吉村寅太郎」「桂小五郎」などは参道沿いに看板が数か所設置されてるのですぐわかります。
幕末動乱の時代に自らの信念を貫き、京都の街でその命を落とし、明治維新を見届けることなく散っていった志士たちに思いを馳せながら、京の街を眺める。
「京都霊山護国神社」に来れば、あなたも幕末から明治維新の歴史を思い起こしながら参拝してみては如何でしょうか?
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