京都大好きのサラリーマン・ブロガーKyotaroです。
京都の二条城と言えば、徳川幕府の歴史が始まり、そして終焉を迎えた舞台として、徳川家の栄枯盛衰を見守って来たお城として有名ですね。
初代将軍の徳川家康によって築城され、第十五代将軍の慶喜公によって大政奉還の意志が表明されたのも「二条城」でした。
日本の歴史が動いた瞬間を見届けた部屋を含め、歴史上の舞台として見どころたっぷりの「二条城」に行って来ました。
詳しく見ていきましょう。
大政奉還の舞台・二条城の見どころと所要時間
徳川家の栄枯盛衰の歴史そのものを象徴する二条城は築城から400年以上を迎えた今でも桃山文化の遺構を二の丸御殿や唐門などに見ることができます。
正式名称は「元離宮二条城」といい、1994年(平成6)にユネスコ世界文化遺産に登録をされました。
そんな歴史が動いた瞬間を見届けたという「大政奉還の舞台になった部屋」も当然見学することができます。
二条城の見どころは「唐門」「二の丸御殿」「二の丸庭園」そして「本丸御殿」です。
ゆっくり見学して1時間30分、梅の花や桜の季節は約2時間程度の見学所要時間が必要です。
実際に二条城を見学してきた体験談を詳しくお届けします。
二条城の見どころと必見の「二の丸御殿」
二条城は堀川通り沿いにの正門にあたる「東大手門」前に受付入場口があります。
「東大手門」から二条城に入城、約1時間30分の二条城見学の旅へ出発となります。
東大手門(重要文化財)
まず「東大手門」で注目して欲しいのが、支柱の隠れ細工ですね。何気なく金箔模様があるように見過ごしがちですが、よく見ると動物の隠れ細工が施されているではないか?
これも建築を手がけた当時の職人が遺した粋な計らいというか、繊細な匠の技というか、こういうところに歴史の足跡を感じますね。
番所
東大手門を入ってすぐ右手に見えてくるのが「番所」と呼ばれる建物です。
幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが警護の為、交代制で詰めていました。
当時は唐門前、北大手門周囲、西門周囲など城内9ケ所の番所があったといい、現存してるのは東大手門前の番所のみとなっています。
東南隅櫓(重要文化財)
当時の二条城外堀の四隅は、見張り台としての隅櫓が建てられており、厳格な警護体制が敷かれていました。
また隅櫓は武器庫としての役割もあり、多くの武器を保管するためにも使用されていたのです。
1788年の大火によって隅櫓も焼失、現在残されているのはこの「東西隅櫓」と「西南隅櫓」の2ケ所のみとなっています。
唐門(重要文化財)
東大手門から入城、左手に進み、東南隅櫓を左手に眺めながら右へ見学順路を進むと豪華絢爛な建物が見えて来ます。
二の丸御殿の正門にあたる「唐門」です。
とても鮮やかな色彩を誇る唐破風の楼門ですが、現在の唐門は2013年(平成25年)の修復によって往時の豪華絢爛な姿に戻ったのです。
「松竹梅に鶴」、聖域を守護する「唐獅子」など極彩色の彫刻が見事で切妻造、桧皮茸のとても豪華な四脚門で、徳川家の威光を示す建造物のひとつだったことが伺えます。
二の丸御殿(国宝)
世界文化遺産・二条城の最大の見どころが「二の丸御殿」です。残念ながら二の丸御殿内は一切の写真撮影が禁止となっております。
見どころは入口直ぐの別名「虎の間」とも呼ばれる「遠侍」、式台、蘇鉄の間、大広間、将軍が徳川家に近い大名や公家が対面したという「黒書院」、将軍の居間、寝室であったという「白書院」など6棟が東南から北西にかけて建ち並ぶ御殿。
部屋総数は33室で800畳あまりの広大な御殿で、「大政奉還の舞台」になったのが大広間の一の間、二の間と云われます。
一の間と二の間には段差があり、一の間の方が高くなっており、ここに将軍が南向きに座り、大名や公卿衆は下段の二の間で将軍に対面したといいます。
障壁画は狩野探幽筆で遠近法や絵のかき方により、絶対的な将軍の存在を誇示するためにより偉大に見える仕掛けが施されていたといいます。
京の街に緊急事態を知らせた釣鐘
二の丸庭園の入口手前に設定されたふたつのおおきな釣鐘は、かつて京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を知らせるために使われていたもの。
当時の京都所司代は二条城の北に隣接して3ケ所あったと云われます。
1867年(慶応3)明治維新とともに京都所司代廃止され、釣鐘のみ二条城に移されたと云われています。
二の丸御殿が国宝に指定された理由
二条城は江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例でもあります。
江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が焼失した今日、国内城郭に残る唯一の御殿群として日本建築史上とても大切な遺構であることから1952年(昭和27)に国宝に指定されるのです。
また御殿内の障壁画は現存数だけで2,000面を超えており、日本絵画史上最大画派である狩野派により描かれたもの。
徳川慶喜公が大政奉還の意を表明した場所が二の丸御殿の大広間です。
日本史を語るうえで非常に大きなポイントとなった「大広間」が二の丸御殿最大の見どころです。
二の丸御殿の廊下は「鶯張り」と呼ばれ、歩くと「キュッ、キュッ」という目かすがいと釘のこすれが生じて起こる音が鳴る仕組みになっています。
二条城の二の丸庭園を散策
二の丸御殿を見学した後は順路に従い、二の丸庭園へと進みます。
二の丸御殿の外観を右手に見ながら、左手には広大な庭園と浮島のある大きな池が美しい景観を作り上げる特別名勝の二の丸庭園を眺めながら散策ができます。
現存する二の丸庭園は小堀遠州作
「二の丸庭園」は1603年(慶長8)の築城とともに造園され、1626年(寛永3)に作事奉行であった小堀遠州のもとで改修が行われました。
池の中央に蓬莱島、左右には鶴亀の島をそれぞれ配した遠州好みの書院造庭園となっています。
純和風の日本庭園ですが、明治以降に植栽、補植されたというソテツの木もあり、どこか南国ムードも漂います。
御殿と庭園が一体となって見学できる日本唯一の城
当時の城郭には居住の為の御殿と豪華な庭園はセットであり、二条城以外にも名古屋城二の丸庭園、和歌山城西之丸庭園、旧徳島城表御殿庭園が現存するが、いずれも御殿は焼失。
よって御殿と庭園がともに残り、一体となって見学できるのはここ二条城のみとなっており、希少な歴史遺構として世界文化遺産にも登録されています。
二の丸御殿の大広間と黒書院、行幸御殿の3方向から二の丸庭園が観賞できる造りになっています。
本丸御殿(現在改修工事中)と本丸庭園
二の丸庭園の先には内堀に囲まれた20,000㎡の敷地内に本丸御殿、本丸庭園があります。
「本丸御殿」は明治維新後の1893年(明治26)に京都御所北東部にあった桂宮御殿を移築したもので貴重な宮家の御殿移築遺構として重要文化財に指定されています。
現在は保存修理工事中(期間2017~2021年まで)のため、本丸御殿の外観見学は出来ません。
本丸櫓門(重要文化財)
1626年(寛永3)頃の建築と云われ、本丸西櫓門とともに本丸を防御する重要な役割を果たす門(本丸西櫓門は焼失)である。
戦時には木橋を落として敵が城内に侵攻できないようにし、銅板で覆われた扉を閉めて火災に備えたといいます。
二条城の本丸御殿には井戸や米蔵もあり籠城戦にも対応できた、まさに要塞だったのです。
天皇が天守に上られるときの木橋は2階建てであったといい、当時の後水尾天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を渡って、地上に降りることなく、天守閣まで行かれたと云われます。
本丸庭園
現在の本丸庭園は1896年(明治29)に明治天皇の命により造られた庭園です。
もともとは枯山水庭園であったが、明治天皇は本丸御殿の上から改修の指示を出され、現在は東南隅の築山、芝生を敷き詰めて曲線的な園路を配した優美な庭園となっています。
現在の本丸御殿は京都御所より移築した桂宮御殿であるが、もともとは家光公が建てた本丸御殿(焼失)、そして慶喜公が建てた建物(解体)2つが歴史上ここに建っていました。
天守閣跡
本丸庭園の南西隅にはかつて伏見城から移築された天守閣があったのですが、1750年(寛延3)の落雷により火災に遭い、焼失しました。
その後、天守閣は再建されることなく、現在は石垣のみが残っており、石段を上がった地上約18mの石垣の上からは京都市街、比叡山、本丸御殿、本丸庭園、内堀が一望できます。
伏見城から移築されたという当時の天守閣は地上5階、地下1階という5重6階建ての造りで屋根には瓦型の銅板が茸かれていたそうです。
天守閣跡を見学した後は、西橋を渡って本丸御殿を後にします。
西橋を渡って左手に進むと梅林、桜の園があり、早春から春は満開の梅や桜を楽しむことができます。
順路は右手の清流園方面に進めていくと途中に重要文化財の土蔵(米蔵)と北中仕切門を見学することができます。
再び東大手門へ戻るまで京都市の迎賓施設である清流園(和楽庵・香雲亭)、北大手門を経て二条城外周をぐるりと周って東側(堀川通)の東大手門へ再び戻る形となります。
二条城へのアクセスと駐車場について
●元離宮二条城
TEL:075-841-0096
〒604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
■拝観時間 8:45~16:00(閉城時間17:00)
■観覧料金 米入城+二の丸御殿と入城のみチケットあり
・本丸御殿 一般1,000円 中高生300円 小学生200円
・入城+二の丸御殿 一般1,300円 中高生400円 小学生300円
・入城のみ 一般800円 中高生400円 小学生300円
■アクセス
・市営地下鉄東西線「二条城前駅」下車すぐ
・JR嵯峨野線「二条駅」下車、徒歩15分
・市バス「京都駅」より9・50・101系統「二条城前」下車すぐ
・市バス「四条烏丸」より12・101号系統「二条城前」下車すぐ
駐車場 有料駐車場あり ※2時間まで1,200円、以降1時間ごと300円
まとめ
徳川家の栄枯盛衰を見守って来た「元離宮二条城」の紹介でした。
普段は「二条城」として親しまれていますが、徳川幕府260年の歴史の始まり、大政奉還、明治維新といった歴史の舞台として日本史を見届けてきたお城でもあります。
特に御殿と庭園が存続する日本建築史上の遺構として希少性も高いことから「二の丸御殿」は国宝にも指定されているのです。
二条城の広大な敷地を歴史を振り返りながら二の丸御殿を観賞し、小堀遠州が改修したという美しい二の丸庭園を堪能し、本丸御殿、本丸庭園の天守閣跡から京の街を眺める。
二条城はまさに歴史を体感しながら、楽しむことができる観光スポットなのです。
本丸御殿は2021年まで保存改修工事中ですが、今しか見ることができない本丸御殿もなかなかよかったですよ。
コメント