銀閣寺(東山慈照寺)の見どころを徹底紹介“侘び・寂び”文化を体感

神社仏閣(観光)
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京都在住のブロガーKyotaroです。

2020年もお盆3連休がスタートしましたね。例年であれば帰省のシーズンですが、今年は移動自粛要請もあり、帰省しない人も多いのではないでしょうか?

仕事柄、飛行機や新幹線の搭乗率や乗車率を見ると一目瞭然ですから容易に今年は“帰省しない”“旅行はやめる”といった人の移動自粛の流れが感じられます。

政府が推進する“Go To キャンペーン”はどこへやら!?京都も閑散としたお盆休みがスタートしています。


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銀閣寺(東山慈照寺)6つの見どころについて

銀閣寺は正式名称を「東山慈照寺」といい、臨済宗寺院「相国寺」の境外塔頭寺院のひとつとしても有名です。

1994年には世界文化遺産に“古都京都の文化財”として北山文化の象徴“金閣寺”とともに登録され、西本願寺にある飛雲閣とともに“京都の三閣”に数えられる名刹です。

東山文化の象徴的存在である“銀閣寺”の見どころをまとめました。

東山文化を象徴する建造物・国宝「観音殿」

銀閣寺(東山慈照寺)のシンボル的建造物が錦鏡池前に建つ国宝に指定される「観音殿」。

二層造りの建物からは足利義政公の宗教観から一層目を「心空殿」、二層目を「潮音閣」と命名したと云われます。

造りは金閣寺(鹿苑寺)の舎利殿、苔寺(西芳寺)の瑠璃殿を踏襲して唯一現存する室町時代の楼閣庭園建築の代表として貴重な存在でもあります。

月光に反射する白砂の波紋を表現した“銀沙灘”と白砂の砂盛“向月台”とのコントラストは独特の景観を生み出し、独創的な空間を体感することができます。

二段構え?異様な高さの垣根「銀閣寺垣」

総門を入るとすぐ右に曲がる参道、その角を曲がると圧倒されるほどの高さの垣根が約50mほど続きます。

「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣で囲まれた細長い空間は“インスタ映え”スポットとして近年は人気を集めています。

雑念を取り払ってくれそうな「銀閣寺垣」の景観はまるで喧騒に包まれた現代と東山文化の浄土世界を繋ぐ“架け橋”のような役割を果たしています。

銀沙灘と向月台が表現する独特の世界観

方丈前にあるのが白砂の波紋型に表現した銀沙灘、中門から入ってすぐ目に飛び込んで来る円錐台形の向月台。

このふたつの景観は同じ京都の他の寺院でも見られない、この銀閣寺(東山慈照寺)独特の砂盛になっています。

銀沙灘は月光を反射させるために波紋型の砂盛に、向月台はこの上に坐って月待山に昇る月を眺めるための円錐台形の砂盛であると言われますが諸説あるようです。

ちなみに室町時代からこの砂盛があったのか?というとそうではなく、近世以後に庭園を改修する過程で作り上げられたものではないか?という説が有力のようです。

苔の緑と錦鏡池が作り出す池泉式回遊庭園

銀閣寺(東山慈照寺)の代名詞とも言える観音殿、錦鏡池を中心とした池泉式回遊庭園。

1952年に特別史跡、特別名勝に指定されており、現在の庭園は江戸後期に改修された時のものと云われています。

特に“苔の緑”が映え、境内は緑に包まれた自然の景観が織りなす美しさがとても印象的で別世界に辿り着いたような感覚にさせられます。

苔を絨毯のように敷き詰めているのは、足利義政公の影響が強いといい、母親に当時女人禁制と言われた苔寺(西芳寺)の庭園を何とか見せたいという思いから。

よって銀閣寺(東山慈照寺)の庭園は苔寺(西芳寺)のそれを踏襲していることでも知られ、新緑の季節は緑が眩しく、とても美しい姿を楽しむことができます。

【動画】銀閣寺洗月泉の涼やかな清流

東山殿造営時の遺構「東求堂」に見る義政の世界観

東山殿造営当時からの遺構として現存する「東求堂(とうぐどう)」はもともと足利義政公の持仏堂であり、阿弥陀如来を祀っていました。

浄土信仰の象徴として「東求堂」を建て、禅宗様式の庭園を造り上げるよう、義政公自らも造園に加わったといいます。

一重入母屋造、檜皮葺きの書院造りの源流となった建築様式で堂内は4部屋に分かれ、義政公が愛用した書斎「同仁斎」があります。

毎年、春と秋に内部を観覧できる特別公開が開催されています。※2020年秋の特別拝観は新型コロナウィルスの影響で既に中止が決定しています。

境内と京都市街、西山連山一望の「展望所」

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「錦鏡池」から順路に従って境内奥へ進むと弁財天や足利義政公が愛用したお茶の井跡があります。

お茶の井庭園に向かって山を登るように階段が増えてきます。お茶の井庭園の脇にある“お茶の井跡”は今でも湧水がこんこんと湧き出しています。

さらに順路に従って登っていくと展望所へ辿り着くことができます。

展望所からは銀閣寺境内を俯瞰でき、さらに向こう側には京都市街からその先には西山連山や愛宕山まで見渡すことができます。

階段は整備されていますが、ハイヒールなどより歩きやすい靴での参拝をおすすめします。

銀閣寺の歴史と足利義政公

足利義政の精神を受け継ぐ、東山文化の中心的存在「東山慈照寺」の歴史について見ていきましょう。

実際に銀閣寺(東山慈照寺)を拝観してみることで足利義政公の世界観を体感することができるのですが、その歴史を事前に知ることで奥深くその世界観を感じることができるのではないでしょうか。

銀閣寺とは?

銀閣寺というのは俗称で正式名称は「東山慈照寺」といい、臨済宗相国寺の境外塔頭寺院のひとつ。

足利義満公による華やかな北山文化の象徴「金閣寺(鹿苑寺)」に対する「銀閣寺」という俗称になったと云われています。

室町幕府八代将軍「足利義政」によって造営された山荘東山殿を起源としており、最初から寺院として創建されたわけではありません。

義政公没後に臨済宗の寺院となり、義政公の法号である“慈照院”にちなんで「東山慈照寺」と名付けられたのです。

華やかな北山文化の象徴である「金閣寺」とは対照的に質素で剛健、日本特有の「侘び・寂び」の文化を体現し、足利義政の世界観を力強く現代に伝えているといっても過言ではありません。

銀閣寺の歴史

1482年に室町幕府8代将軍の足利義政公によって造営された山荘東山殿が起源とし、義政公没後に臨済宗寺院となります。

応仁の乱勃発により焼失した浄土寺の跡地に建てられたという銀閣寺ですが、金閣寺に比べて質素な建築様式になっているのは戦によって疲弊した当時の経済状況も大きく影響していたことが伺えます。

奇しくも銀閣寺のシンボルといわれる「観音殿」完成前に義政はこの世を去ったわけですが、1490年完成以来、「東求堂」とともに東山文化の中心的存在となっています。

足利義政の精神的な影響が随所に色濃く残っており、特に応仁の乱を招いてしまったことを自らの力不足と痛感した精神的なマイナス面の影響も銀閣寺に遺されていると云います。

具体的には「観音殿」の向きを京都中心街・西向きではなく、東山向きにしているのは足利義政公の政治に疲れ果て隠居したネガティブな一面を表しているといいます。

1615年の大改修によってほぼ現在の銀閣寺の基盤が作られたといい、禅宗の趣が庭園を中心に取り入れられたと云います。

1994年には「古都京都の文化財」のひとつとして、世界文化遺産にも登録され、一年を通じて多くの参拝客が訪れる、京都屈指の寺院のひとつになっています。

銀閣寺を拝観して感じたこと

東山文化の中心といわれ、京都大文字山(如意ヶ嶽)の麓にある銀閣寺は足利義政の世界観が色濃く残る、とても美しい寺院です。

実際に訪ねてみることで体感できることが既述の6つの見どころからもわかると思いますが、予め知ってから行くのと知らずに行くのとでは歴史の奥深さの感じ方が大きく異なると思います。

境内には自然がたくさん残されており、美しい苔の緑が映える“池泉式回遊庭園”も格別です。

京都の他の寺院にはない、ある意味奇抜な発想がけいだいあちこちに施された寺院です。

銀閣寺へのアクセスと駐車場について

■銀閣寺(東山慈照寺)
TEL:075-771-0365
〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
拝観料金 大人500円 小中学生300円
拝観時間 8:30~17:00(3~11月)
9:00~16:30(12~2月)
アクセス 最寄りバス停は「銀閣寺道」
※最寄り駅は京阪出町柳駅から徒歩30分程度
市バス/京都駅から5・17・32・急100・急102・203・204系統
「銀閣寺道」下車、徒歩10分
市バス/烏丸今出川から急102系統、同志社前から203系統
「銀閣寺道」下車、徒歩10分
市バス/金閣寺道から急102・204系統に乗車
「銀閣寺道」下車、徒歩10分
駐車場  専用駐車場なし※市営又はコインパーク利用

まとめ

京都東山を代表する銀閣寺(東山慈照寺)の紹介でした。

Kyotaroの子供の頃からの印象は右大文字(如意ヶ嶽)の麓にあるのが銀閣寺、という位置関係で記憶していました。

確かに如意ヶ嶽の登山口がすぐ近くにありますからね。

京都の他の寺院に類を見ない景観を楽しむことができ、また周辺には「哲学の道」もあり、ゆったり観光を一日楽しめるエリアでもあります。

足利義政公の世界観を体感しにあなたもぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか?


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