一休寺(酬恩庵)、一休さんが晩年を過ごした寺院の見どころを紹介

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“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。

京都在住のブロガーKyotaroです。

京都府南部の京田辺市にある「一休寺」をご存じですか?

あの“一休さん”こと一休禅師が63歳から88歳で亡くなるまでの晩年を過ごしたお寺です。

以前から行こう、行こうと思って実は今回、Kyoaroも初めて訪ねて来ました。

境内には一休禅師のお墓もあり、方丈庭園をはじめ綺麗で美しい寺院です。

詳しく見ていきましょう。


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酬恩庵一休寺の沿革と名勝指定庭園について

酬恩庵一休寺はかつて妙勝寺と呼ばれており、あのTVアニメでも有名な「頓智の一休さん」が63歳より88歳で亡くなるまでの晩年を過ごされたという寺院です。

京都には他にも一休禅師こと“一休さん”生誕の地として京都市西京区の「地蔵院」がありますが、他にも「建仁寺」や「大徳寺」など有名な寺院にもゆかりがあります。

酬恩庵一休寺の沿革と国の名勝指定となっている方丈の枯山水庭園について詳しく見ていきましょう。

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今回はKyotaroの庭といってもいいエリア「衣笠山地蔵院」の紹介。ここは“竹の寺”としても有名です。新型コロナウィルス感染拡大防止の観点からしばらく拝観休止でしたが、2020年5月22日から拝観を再開したとのことで久々に訪れました。青竹と青もみじ、深緑深まる境内のそよ風がとても心地よかったです。

酬恩庵一休寺の沿革

酬恩庵一休寺は鎌倉時代に臨済宗の高僧・大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚から学び、帰国後に禅道場を現在の京田辺市に開いたのが始まりで当時は妙勝寺と呼ばれていました。

後の戦火によって焼失し、なかなか再興されませんでしたが第六代法孫にあたる一休禅師が再興しました。

再興の際に一休禅師は宗祖である康正年中の遺風を慕って堂宇を再興したといい、その表れが、当時の妙勝寺に「酬恩庵」と命名した事に伺い知ることができます。

一休禅師は63歳からこの地で過ごされ、81歳で大徳寺の住職となってからもこの地から大徳寺まで1481年(文明13)に88歳で亡くなるまで通われたと云われています。

示寂された遺骨はそのまま妙勝寺(酬恩庵)に葬られ、現在も「一休禅師の墓所」として境内で眠っておられます。

一休禅師が晩年を過ごされた寺院ということで後に通称「一休寺」で呼ばれることが多くなり、現在は“通称”で知られるお寺となったのです。

酬恩庵一休寺の名勝指定「方丈庭園」

酬恩庵一休寺にある方丈は1650年(慶安3)に加賀三代目藩主であった大名の前田利常公によって寄進されたもので国の重要文化財に指定されています。

御本尊に一休禅師をお祀りし、方丈内部の襖絵はあの江戸時代の巨匠、狩野探幽の筆によると云われ、とても見応えがありました(※写真撮影は禁止)

方丈を取り囲むように広がる庭園は名勝指定の枯山水庭園としてとても美しく、趣のある庭園となっています。

江戸初期の石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六昌俊の三名による合作と云われており、南庭、東庭、北庭と方丈を取り囲むように庭園が続いているのが特徴です。

庫裏から方丈に行くと最初に広がる南庭はサツキ刈込と白砂の庭が印象的で西部には大きな蘇鉄が植えられており江戸期の典型的な禅苑庭園の様相を呈しています。

また東庭は大小の石が連なる十六羅漢の庭、北庭は枯瀧落水の様子を表した蓬莱庭園でかつては正面に木津川、遠くに比叡山、男山が遠望できた景観であったと云われています。

酬恩庵一休寺の見どころについて

酬恩庵一休寺の気になる拝観所要時間と見どころについて見ていきましょう。

参道沿いに青もみじが連なり、風情と趣がある寺院への入口となっており、来訪者に何かを期待させるようなエントランスでした。

秋にはたっぷり美しい紅葉も楽しめそうな景観です。

酬恩庵一休寺の拝観所要時間は?

酬恩庵一休寺の拝観所要時間はおよそ40分(標準)と考えてもらっていいと思います。

宝物殿もご覧になる場合はプラス10~20分とお考え下さい。

もちろん個人差はあると思いますが、拝観受付より中門を通った先に庫裏があり、そこから方丈と庭園を拝観、その後、中門から本堂、開山堂、少年一休像と進んでいくルート。

方丈前の枯山水庭園がとても美しいのでここで10分程度お庭を眺めての所要時間40分ですのでそれ以上お庭を眺めた分、時間が加算される計算です。

あくまで目安として参考にして頂ければ幸いです。

酬恩庵一休寺の境内見どころについて

続いて酬恩庵一休寺の境内見どころの紹介です。

拝観のメインは方丈、方丈庭園、本堂、開山堂となりまずが、その他の見どころについても詳しく見ていきましょう。

総門

一般的に禅宗寺院の表門は“総門”と呼ばれます。

よって写真が表門にあたる総門でその先に緩やかに上る参道が続きます。

総門前にはかつて金春禅竹屋敷跡があった場所に「薪能金春の芝跡」という石碑が建っていますのでお見逃しなく。

一休禅師蹟碑

総門を入ってすぐ手水舎の前に「一休禅師墨蹟碑」が建てられています。

一休禅師が書いた書体でお釈迦様の教え「諸悪莫作 衆善奉行」の文字が刻まれています。

※意味は“悪いことはせず、善いことをすれば心が清く美しいものとなる”という教えです。

三本杉

表参道の突き当り、拝観受付前にそびえ立つ三本杉は、一休禅師御手植えの杉として五百年の緑を湛え一休寺の名物のひとつになっていました。

一説によれば一休禅師、蜷川新右衛門(にながわしんえもん)、蓮如上人が一本ずつ植えたという言い伝えが残っています。

現在の杉は1965年(昭和40)に植樹された二世木で、初代は寿命が尽きて切り取られました。

浴室

桁行五間、梁間三間、切妻造、妻入、本瓦葺の建物で加賀三代藩主前田利常公が大坂冬の陣に際してこの地に布陣した1650年(慶安3)に新築した建物です。

禅宗七堂伽藍のひとつに数えられ御本尊は入浴時に悟りを開いたという「跋陀婆羅」です。

内部は蒸し風呂で浴室は東司、禅堂、食堂など三黙堂のひとつとして静寂を大切にする、あくまで修行の場という位置づけです。

一休禅師墓所

一休禅師は1481年(文明13)11月21日、88歳でこの地で示寂されました。

示寂に先だって1475年(文明7)この地に寿塔を建立、敬愛されていた宋の慈明、楊岐の両禅師の名を取った慈楊塔と名付けられたと云われます。

前面にある庭園は茶祖・村田珠光の作と云われ、禅院の枯山水庭園様式であり、室町時代の古風な造りを現代に遺しています。

またこの場所が宮内庁の御陵墓となっているのは一休禅師が人皇百代後小松天皇の皇子であるためで、門戸には菊の紋章を見ることができます。

虎丘庵(こきゅうあん)

<庫裏から眺める虎丘庵の茅葺屋根>

虎丘庵はかつて一休禅師が森女さんと住んでいたという小さな茶室で現在は京都府指定文化財となっています。

内部は二畳の水屋と六畳、三畳の小部屋のみという至って簡素でシンプルな佇まいとなっています。

かつて京都東山の麓にあったと云われ、一休禅師74歳の年に起こった応仁の乱(1467~68年)から避難するためこの地に移されました。

※通常非公開のため内部は拝観することが出来ません。

鐘楼

鐘楼は浴室同様、再建時に前田家より寄進、新築された建物で鐘は1623年(元和9)の作。

入母屋造、29㎡の建物ではかま腰となっており、とても背が高いのが特徴です。

下から見上げるほどの建物でその容姿の美しさに感銘を受けます。

通常の鐘楼とは異なり、建物内部に入らないと鐘を見ることができない構造になっています。

現在は除夜の鐘を鳴らすのみで大晦日には地元の多くの方が訪れます。

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中門

一休禅師墓所、虎丘庵と並んで建つ門で本堂を正面に見ながら右手にあり、その先には庫裏、方丈があります。

正面に本堂が見えますが、まずは拝観順路としてこちらの門を潜りましょう。

京都府指定文化財。

庫裏

中門の先に建つ建物が庫裏で、お寺の台所にあたる建物です。

庫裏の前には樹齢400年という「しだれ松」があり、枝のたれ下がった珍しい松の樹が立っています。

現在の建物は1650年(慶安3)に方丈が加賀の前田利常公より寄進された時に改築されたものと云われており、内部はお抹茶席、売店、ご朱印所があります。

国の重要文化財に指定。

東司

東司とは“お手洗い”のことで庫裏のそばにあり、僧侶の時食を整える生活の場です。

庫裏と同様に前田利常公による方丈寄進の際に新築されました。

お手洗いが当時の面影を遺したまま残ってるのは非常に珍しく、国の重要文化財に指定されています。

唐門

中門を入ってすぐ右手にあり、方丈へ通じる玄関口となっています。

1650年(慶安3)の方丈再建時に東司とともに新築されたもので国の重要文化財に指定。

方丈と枯山水庭園

方丈は1650年(慶安3)に加賀三代目藩主の前田利常公より寄進再建されました。

前田利常公が36歳であった1615年(元和元)の大坂夏の陣の際、大坂へ向かう途中に木津川で陣を構えたといいます。

その際に妙勝寺(一休寺)をお参りし、一休禅師の書き残した数々の書物を見て感服し、一休禅師へ尊敬の念を抱き、荒廃する寺院を再興したと云われています。

また、方丈を取り囲むように広がる庭園は江戸初期を代表する庭園として国の名勝指定となり、趣の全く異なる南庭、東庭、北庭に分かれています。

特に北庭は禅院の枯山水蓬莱庭園となっており、蓬莱山の瀧から水が海へと流れる様子を水を用いず、石組だけで表現する独特の様式の庭園となっています。

ぜひ目を凝らして見てみて下さい。

宝物殿

一休禅師の墨蹟など宝物を納めた土蔵建築の建物

本堂の右手にあります。

本堂

本堂は仏殿ともいい、御本尊は釈迦如来坐像、文殊普賢菩薩像が祀られています。

本堂の建物は山城・大和地方(京都府南部と奈良県)の唐様建築のなかでも最古と云われており、1429~1441年(永享年間)室町幕府六代将軍の足利義教公の帰依によって建立されました。

開山堂

開山堂は大正時代に改築されましたが、その様式は一休禅師が荒廃した妙勝寺を再建した当時の面影を遺しています。

御本尊は妙勝寺創建の大應国師(南浦紹明)木像がお祀りされています。

少年一休像

一休禅師の少年時代を表したリアルな銅像が開山堂の横にあります。

おなじみの箒をもって掃除をしている姿で本当に笑いかけてくれてるかのような表情豊かな銅像です。

また、銅像から先に進むと蓮の花が咲く池、あの有名な“このはしわたるべからず”と書いた橋も登場しますのでぜひお見逃しなく。

また周辺には羅漢像が複数安置されており、自然に囲まれた幻想的な空間になっているので森林浴的な散策が楽しめます。

拝観の締めくくりに自然と戯れてみては如何でしょうか?

酬恩庵一休寺へのアクセスと駐車場について

●酬恩庵一休寺
TEL:0774-62-0193
〒610-0341 京都府京田辺市薪里の内102
■拝観料金 中学生以上500円 小人250円
■拝観時間 9:00~17:00
※宝物殿は9:30~16:30までとなります。
■アクセス 車でのアクセスが便利
・京都駅より近鉄急行利用で「新田辺駅」下車、新田辺駅西口4番乗り場より京阪バス66系統乗車
・JR学研都市線「京田辺駅」下車、タクシー利用5分
・京都駅八条口より京阪直行バス「直Q京都」利用
■駐車場  参拝者専用あり(有料300円/30台程度)


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まとめ

今回は京都府南部、山城地方にある京田辺市の「一休寺」の紹介でした。

20代の頃、仕事でこの付近に営業に来てた頃から一度、行かねばと思ってた「一休寺」ですがやっと今回、初めて行くことが叶いました。

一休禅師の生誕地「竹の寺 地蔵院」は地元にあるので何度となく行ったことがあるのですが、「一休寺」には禅師の墓地があり、ここは終焉の地ということですね。

地蔵院竹の寺の見どころは十六羅漢の庭、一休禅師ゆかりの地を訪ねて
今回はKyotaroの庭といってもいいエリア「衣笠山地蔵院」の紹介。ここは“竹の寺”としても有名です。新型コロナウィルス感染拡大防止の観点からしばらく拝観休止でしたが、2020年5月22日から拝観を再開したとのことで久々に訪れました。青竹と青もみじ、深緑深まる境内のそよ風がとても心地よかったです。

自然に囲まれた景観の寺院で秋には紅葉名勝としても知られ、方丈を囲む庭園と紅葉の景観はぜひ一度見てみたいと思います。

浴室から先に進んだところに絵馬奉納所があり、昔昭和の時代に放映されたアニメ「一休さん」のイラスト画が配置されていて思わず、アニメの一休さんを思い出しました。

「急がない、急がない、一休み、ひとやすみ」という“一休さん”のフレーズがふと頭をよぎりました。

一休禅師が心に「急がずにたまにはゆっくり休憩すれば?」と語りかけてくれたのかも…

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の50歳、フツーの会社員。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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