【京の六地蔵めぐり】山科地蔵・徳林庵は盲目の琵琶法師の聖地

京の六地蔵めぐり
[広告] 当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

京都在住のブロガーKyotaroです。

うっとおしい梅雨の季節、京都では早くも連日35℃以上の猛暑日が続いてます。

気付けば本格的な夏、昨夜も熱帯夜で寝苦しい夜となりました。

急激な気温上昇、熱帯夜、そしてこの時期のマスク着用などで体調など崩されませぬようご自愛ください。

京の六地蔵めぐりはお幡を集めて厄病退散を祈願する伝統行事
世間では連日のように“新型コロナ感染者”の日あたり感染者数の記録更新という嫌なニュースが続いてます。“新型コロナ感染者”が増え続ける中でスタートした「Go To トラベルキャンペーン」も物議を呼んでいますね。今年は“コロナ退散”を祈願するため8月に人生初の“京の六地蔵めぐり”に挑戦しようと思います。

今回は引き続き“京の六地蔵めぐり”のひとつ旧東海道にある「山科地蔵」の紹介です。


国内ランキング

スポンサーリンク

“京の六地蔵めぐり”のひとつ「山科地蔵・徳林庵」

旧東海道(三条通)沿いにある徳林庵は通称「山科地蔵」と呼ばれ、地元では“目の神さん”“ひとやすさん”“さねやすさん”の呼び名で親しまれます。

正式名称は「柳谷山徳林禅庵」で臨済宗南禅寺派の寺院で御本尊は「聖観世音菩薩」を祀ります。

境内の地蔵堂には“京の六地蔵めぐり”のひとつ、第6番札所として地蔵菩薩が安置され“廻地蔵”とも呼ばれ、地元では“山科地蔵”“四ノ宮地蔵”の名で親しまれる。

創建は室町時代の天文年間(1532~1555年)と云われ、南禅寺の雲英正怡禅師によって人見親王を弔うため開創。

六地蔵の由来、場所には諸説ありますが、平安時代初期に冥土で生身の地蔵菩薩を拝んだことで蘇生した小野篁卿が桜の大木、一木から六体の地蔵を彫り出したといいます。

スポンサーリンク

小野篁卿が自ら彫り出した六体の地蔵は木幡の里(現・大善寺)に安置されていました。

1157年に都で疫病が流行した際に後白河天皇が平清盛に都の出入り口に六体の地蔵を祀るように命じ、西光法師が京洛街道口6ケ所に地蔵菩薩を造ったのが「六地蔵」の始まりです。

山科地蔵・徳林庵は盲目の「琵琶法師の聖地」と呼ばれる理由

山科地蔵・徳林庵は盲目の「琵琶法師の聖地」と昔から云われています。

その由来となったのが平安時代前期の皇族で第54代天皇で仁明天皇の第4皇子として知られる人康親王で「四ノ宮」の地名の由来にもなったといいます。。

859年、人康親王は高熱によって両目を失明、宮中から追われることになります。

その後、山科御所を営み、四ノ宮に隠棲、出家して法性(ほっしょう)と号しました。

人康親王は琵琶の名手としても知られ、四ノ宮で盲人を集めて琵琶や管弦、詩歌を教えたのがこの地を盲目の「琵琶法師の聖地」と呼ぶようになった所以です。

人康親王が亡くなった後は、仕えていた人々に「検校」「勾当」など「盲官」の位が与えられ、僧職に就いた人は「法師」と呼ばれていました。

山科地蔵・徳林庵へのアクセスと駐車場について

■柳谷山徳林庵
TEL:075-583-0353
〒607-8044 京都府京都市山科区四ノ宮泉水町16
拝観時間 拝観自由
拝観料金 拝観無料
アクセス
京阪電鉄京津線/「四ノ宮駅」下車、西へ徒歩5分
JR東海道本線/「山科駅」下車、東へ徒歩10分
市営地下鉄東西線/「山科駅」下車、東へ徒歩10分
駐車場 境内駐車スペースあり(1台)※厳しい

まとめ


旧東海道(三条通)沿いにある山科地蔵・徳林庵は旧道沿いということもあり、気付かずに通り過ぎてしまうほどこじんまりしています。

正面に六角のお堂・地蔵堂があり、地蔵堂の背後に徳林庵の入口があり、境内には人康親王や蝉丸供養等、茶処に安置される4体の石仏、荷馬の井戸、飛脚の釜があります。

今でも京都に入る際の厄除の場所、東海道の門番として多くの参拝者が訪れます。


国内ランキング

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました