渉成園、園林堂の特別公開で棟方志功の襖絵を見学

神社仏閣(観光)
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京都在住のブロガーKyotaroです。

真宗大谷派の東本願寺、飛地境内の「渉成園(枳殻邸)」で今回、園林堂の特別公開ではじめて堂内へ入ることができました。

2024年1月より開催された京の冬の旅、今回で第58回目を迎えたのですが、園林堂(おんりんどう)の公開はなんと58年史上で初めてとのことで期待に胸を膨らませて行って来ました。

本記事では特別公開の園林堂、明治天皇ゆかりの閬風亭(ろうふうてい)の様子、渉成園の見どころを中心に紹介します。

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渉成園(枳殻邸)園林堂の特別公開、棟方志功の襖絵を見学

京都駅から歩いて約10分程度で渉成園(枳殻邸)の入口までやってきました。

烏丸通を北上し、七条通を渡って左手に東本願寺の新しくなった阿弥陀堂門、そして御影堂門を眺めながら噴水の横断歩道を超えて一筋目の正面通りを右折、突き当りが東本願寺の飛地境内にあたる「渉成園(枳殻邸)」です。

京都の地図を真上から見るとわかるのですが、西本願寺、東本願寺、そして「渉成園(枳殻邸)」は横一列に並んでいることが伺い知れます。

「渉成園(枳殻邸)」の紹介は以前にもさせて頂いているのですが、今回は当然ながら大玄関から靴を脱いで上がる「閬風亭」そして「園林堂」を実際に見学してきた時の様子をまず紹介します。

園林堂の特別公開、写真撮影は禁止

園林堂(おんりんどう)は渉成園(枳殻邸)の庭園入口のすぐ右手に建っており、外観は庭園見学、散策の際に見学することができます。

実はこの建物、反対側の庭園出口にある大玄関から回廊で繋がっており、「閬風亭(ろうふうてい)」を経由した先にあります。

残念ながら園林堂は入口で手荷物やカメラをロッカーに入れないといけないくらいに堂内の襖絵の保存に気を使っておられ、また写真撮影も厳格に禁止されています。

堂内には棟方志功による四十四もの襖絵と阿弥陀如来がお祀りされています。

阿弥陀様はひっそりと佇んでおられる印象でやや小さめの仏像でした。

棟方志功の襖絵を見た感想

棟方志功の襖絵は絢爛豪華で力強くてエネルギッシュな印象をうけました。

まさに“大胆かつ繊細”に描かれた襖絵といっても過言ではなく、「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」なども拝観することができる希少な体験ができました。

園林堂はすなわち持仏堂としての意味合いがあり、さほど大きな建物ではありませんので通路も狭くて5,6人が一気に堂内に入るとやや窮屈な印象を受けました。

周囲の通路を一周する感じでの拝観となり、中央にある阿弥陀如来像や襖絵を見ることができる部屋には残念ながら入ることもできません。

明治天皇ゆかりの閬風亭から眺める庭園の風景

園林堂の特別公開を見たあとは再び、閬風亭へ戻ってきます。

閬風亭は1865年(慶応元)頃に建てられたと云われ、内部には大広間があり、広間から東向きには前庭越しに東山連峰を眺める借景庭園としての景観を楽しむことができます。

渉成園(枳殻邸)入園の際に貰えるパンフレットの表紙も“閬風亭から眺める庭園の風景”になっています。

ただこの時期(冬季、早春)は景観的に樹々の蒼さも少なめで春、新緑、紅葉シーズンに比べてやや寂しい印象を受けます。

特別公開に合わせて大広間には青い敷物と座布団、机が設置されていました。

広間にある扁額はふたつ、ひとつは石川丈山による「閬風亭」、そしてもうひとつは徳川慶喜公による「渉成園」の扁額がそれぞれ飾られています。

初めて見た園林堂の感想について

今回初めて訪れた園林堂の特別公開はとても希少な体験ができました。

写真撮影は禁止でしたが、棟方志功による四十四もの襖絵を間近に見ることができ、大胆かつ繊細な襖絵からは何か力がみなぎってくる、そんな印象をうけました。

また思っていたよりも内部はこじんまりとした感じが強く、一度に多くの人は入れないし、入ってしまうと文化財としての価値が高い襖絵を損傷する可能性があるため、堂内への入口にあるロッカー(鍵付き)へ鞄やリュックを入れておく必要があります。

次回はどのタイミングで公開されるかわからない非公開文化財につき、今回はわざわざ見に行った甲斐がありました。

渉成園(枳殻邸)の見どころをハイライトで紹介

渉成園(枳殻邸)の見どころについて紹介していきましょう。

最大の見どころは、印月池に浮かぶ侵雪橋(しんせつきょう)から眺める庭園の景観、園林堂に向き合うかのように建つ回棹廊(かいとうろう)の景観です。

それぞれの見どころを紹介していきましょう。

渉成園十三景と諸建築

渉成園は約一万六百坪もの敷地面積を誇る、園内には大小二つの池、複数ある茶室の他に今回、特別公開されている持仏堂としての園林堂、書院などがあります。

園内は東の庭園エリア、西の書院エリアに大きく分けられ、1827年(文政10)に渉成園(枳殻邸)を訪れた頼山陽によって『渉成園記』の中で庭園内の主な建築物、景色を「渉成園十三景」として紹介し、その風雅を称えています。

これが「渉成園十三景」の由来とされています。※今回は十三景の八「紫藤岸(しとうがん)」、十三景の十三「丹楓渓(たんぷうけい)」の紹介は割愛しています。

臨池亭(りんちてい)

池に佇む立地からその名が付いた「臨池亭」は吹放しの廊下で「滴翠軒」と繋がっています。

現在の建物は1884年(明治17)の再建で主室は八畳二間、二方に縁をめぐらし、東側全面には幅一間の縁を張り出しており、池との一体感をよりいっそう強調しています。

まるで高級料亭のようなテレビでよく見かける、そんな景観がそこには広がります。

滴翠軒(てきすいけん)※十三景の一

臨池亭と同じく1884年(明治17)の再建で園内書院のなかでは最北端にある建物となる。

池に落ちる小滝(滴翠)からその名が付けられました。

緩やかな屋根が深く軒を差し出し、縁側が池中に張り出しているのが最大の特徴です。

池の背景に「キリシマヤマ」という築山があり、南の生垣とともに他の庭とは切り離した形になっています。

檜垣の燈篭

滴翠軒の東側に建つ燈篭で独特の形をしており、名称の由来はよくわかっていません。

雰囲気のある滴翠軒、臨池亭が佇む池の対岸に佇む、特徴的な燈篭です。

代笠席(だいりつせき)

庭園の北に位置し、生垣をめぐらせて南向きに建てられた煎茶席。

前面間口は三間あり、四畳半二室が東西に並び、他に深さ半間の土間と小縁が設けられています。

「煎茶三席」の「茶店」として位置づけられており、今でも茶席の東にはお茶畑が残されています。

園林堂(おんりんどう)

傍花閣(ぼうかかく)に対応する持仏堂で茶室ではありません。

正面四間で中央間は桟唐戸を吊り、仏堂風の意匠になっている。

「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園を意味し、仏典では「浄土」を意味する表現で用いられ、京都桂離宮にも同じ「園林堂」と呼ばれる持仏堂があります。

偶仙楼(ぐうせんろう)※十三景の九

現在の閬風亭付近にあったとされる高楼で江戸初期の古絵図では、伏見城から移築したという桃山風の大書院に付随した高楼が描かれているのがわかります。

度重なる戦火によって焼失後、1864年に起きた蛤御門の変での焼失を最後に再建されることはありませんでした。

現在の庭園内にはその姿をもう見ることはできませんが、位置的には盧庵のすぐ前に建っていたのではないか?と推察されます。

盧庵

二階建ての茶室で一階は七畳で西側に床をかまえ、二方に縁側がついており、二階は主室四畳半に台目三畳の次の間を付す。

主室北側が板敷、中央に赤松の曲木を立て左を床、右脇には二重棚を有し、二方の肘掛け窓から眺望を楽しむことができる煎茶席となっています。

前庭の露地には珍しい屋根の形をした中門が開かれている。

盧庵の春日燈篭

「盧庵」の露地に建つ江戸初期の作と云われる石燈篭。

降り積もった雪が刻みだされた六角形笠の屋根が特徴的です。

傍花閣(ぼうかかく)※十三景の二

園林堂の東正面、山門にあたる場所に建てられている個性的な建築様式が目に付く楼門。

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左右側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋があります。

また部屋の天井中央には磁石版に十二支を配した珍しい図形が描かれています。

すぐそばには早咲きの桜があり、一足早く桜が開花、メジロが遊びに来ていました。

侵雪橋(しんせつきょう)※十三景の六

印月池の西北岸から縮遠亭のある島へと渡る木造の反橋で頼山陽が『渉成園記』のなかで雪の積もった橋の様子を玉龍にたとえ表現しています。

橋上から「漱枕居(そうちんきょ)」のある西南方向を眺めると庭園の景観越しに京都タワーが見えます。

碧玉の石幢

石幢(せきどう)という名が付く通り、通常の石灯籠とは違い、笠部分に蕨手と呼ばれる装飾が一切ついていないのが特徴です。

石燈篭でいう火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するための龕になっています。

碧玉が名称になっているが、一切この石幢は青みがかっておらず、なぜ碧玉の名が付いてるかは不明。

この石幢の横にせり出した石の上に立って撮影する侵雪橋越しの景観が非常に素晴らしく、シャッターポイントとして紹介しておきます。

塩釜

縮遠亭での茶会の際に水源であったであろうと推察されるが、現在は水が枯れてしまっている。

縮遠亭がある築山の北側にある石組みの横穴でそこに井筒があり、その形が塩を製造する「塩釜」に似ていることからこの呼び名が付けられました。

縮遠亭(しゅくえんてい)※十三景の七

印月池に浮かぶ北大島に建つ茶室で西側入口の土間から入ると奥に四畳間の茶室がある。

その南端から斜めに続く板間を経て床を高く支えた三畳敷の上段の間が連結した舞台造りになっている。

かつてこの上段の間から東山の阿弥陀ケ峰の遠景が縮図のように見えていましたが、江戸後期の頃には樹木の繁茂によって見えなくなっていたと云われています。

源融ゆかりの塔

嵯峨天皇の皇子でありながら源性を賜った左大臣の源融は『源氏物語』の主人公である「光源氏」のモデルになった人物のひとり。

印月池に浮かぶ九重の石塔は源融の供養塔といわれており、角度的にやや見づらい場所にありますが、塔身四方に仏が刻まれ、基礎の格狭間には蓮華の彫刻がしっかり施されています。

いつ頃ここに建てられたのかは不明ですが、鎌倉中期のものと推定され、渉成園築造前からこの場所に建っていた、という言い伝えがあります。

塩釜の手水鉢付近から撮影しましたが、それでも樹々の陰になりやや見づらいです。

塩釜の手水鉢

渉成園にある塩釜の手水鉢は全国の庭園にある手水鉢の見本となるものであり、渉成園の景物として最も重要であり、鎌倉時代の制作と推定されています。

石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したものと云われ、相当な歴史を感じさせる手水鉢で縮遠亭の先端に安置されており、この先に「源融ゆかりの塔」を眺めることができます。

五松塢(ごしょうう)※十三景の五

「五松塢」とは五株の松、あるいは一幹五枝の松が植えられていた土手(=塢)を意味し、侵雪橋を縮遠島に渡ったすぐ北側付近のことを指します。

普通に庭園を歩いてると通り過ぎてしまう松の木なのですが、近くに「碧玉の石幢」があるのでそちらが目印になります。

このあたりから庭園南東方向には侵雪橋越しに見る庭園と京都タワーを眺めることができます。

回棹廊(かいとうろう)※十三景の十二

庭園内の北大島と丹楓渓を結ぶ回廊で1858年(安政5)に勃発した安政の大火で焼失し、現在の木橋は再建されたものです。

焼失以前は赤塗りの欄干を持つ反橋だったと云われていますが、現在は杮葺屋根の橋となっており、中央の唐破風屋根が庭園内でもその存在感を示しています。

唐破風の天井部には掛け釘があり、かつて夜半の来客があった折には金燈篭を吊って火を灯したといいます。

ちょうど園林堂に正対するように建っているのが印象的で実際に歩いて渡ることができるので唐破風屋根の下から西正面を眺めると傍花閣越しに園林堂を正面に眺めることができます。

臥龍堂(南大島)※十三景の四

印月池に浮かぶ南大島の呼び名でかつてこの島にあったという鐘楼堂を指して「臥龍堂」と呼ばれていましたが安政の大火で焼失し現在、鐘楼堂はありません。

かつて漱枕居で催された茶会に集まった客人に縮遠島へ向かう船の時間を知らせる役割があったそうです。

現在は礎石のみで建物は一切ありません。

印月地(いんげつち)※十三景の三

池泉回遊式庭園として名高い渉成園(枳殻邸)の中心となる広い池を「印月池」と呼びます。

名前の由来は東山から上る月影を水面の映す美しい景観から「印月池」の名が付いたと云われます。

その広さは約1,700坪で渉成園(枳殻邸)全体の6分の1を占めています。

閬風亭(ろうふうてい)

庭園の南西にある大広間で園内でも最大規模を誇る建物が「閬風亭」でその景観はとても穏やかな印象を受けます。

室内からの眺めは渉成園(枳殻邸)のパンフレット表紙にもなるほどの風景となっており、前庭を隔てて東山の阿弥陀ケ峰を借景にした雄大な景観を楽しむことができます。

かつては畳を外して能の舞台として使用されたり、北西にある八畳敷の書院「嘉楽」は1880年(明治13)7月14日に明治天皇が休息に使われた場所としても有名です。

漱枕居(そうちんきょ)※十三景の十一

印月池の南西にある水上に浮かぶように建てられた四畳半に三畳敷の続く座敷と土間からなる茶室で現在のものは1865年(慶応1)頃の再建と伝わります。

名称由来は「漱流枕石(そうりゅうちんせき)」の語からとられ、同一園内に「縮遠亭(飯店)」「代笠席(茶席)」とともに「煎茶三席」の酒席として用いられ、三席が揃う非常に珍しい例となっています。

庭園内における南西方向の景観においてその存在感を放つ建物でもあります。

双梅檐(そうばいえん)※十三景の十

園内の西南にある紅梅、白梅が20株程度植えられた梅林で早春に花を咲かせ、園内を彩ります。

かつて閬風亭の屋根がこのあたりまでかかっていたことが「双梅檐」の名称から推察できます。

大玄関

1880年(明治13)7月に明治天皇の京都訪問に際し、渉成園で休憩された際に本山・東本願寺の境内に残る宮御殿とともに大宮御所から移築を約束され、後にここへ移されてきた玄関。

非常に大きな玄関で正面四間・切妻造の壮大な車寄に二間の内玄関が設けられ、かつ内部には八畳二間があり、車寄正面の馬車廻し南側には明治初期に建てられたという「馬繋ぎ」が当時のまま残されています。

今回の園林堂内部の特別公開はこちらから入り、?風亭を経て見学することができます。

高石垣

西門から入った正面にある高石垣で石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石、そして瓦などいろんなものが組み合わさり、積まれた一風変わった、特徴的な石垣となっています。

なんかとりあえず積まれた高石垣なのですが、変に形がうまく整っていて不思議な感じがする景観が目に飛び込んでくるので思わず立ち止まって眺めてしまうスポットです。

渉成園(枳殻邸)へのアクセスと駐車場について

●名勝渉成園(枳殻邸)
TEL:075-371-9210
〒600-8190 京都府京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
■開園時間 ※季節により異なる
・3~10月 9:00~17:00
・11~2月 9:00~16:00
■庭園維持寄付金
・大人500円以上、高校生以下250円以上
■特別公開拝観料
・大人500円 小人250円
■アクセス 京都駅から徒歩10分の距離
・市バス「烏丸七条」下車、徒歩5分
・市営地下鉄烏丸線「五条駅」下車、徒歩7分
駐車場  専用駐車場(無料30台程度)あり


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まとめ

今回は園林堂(おんりんどう)の特別公開、閬風亭(ろうふうてい)の大広間から眺める庭園と東山借景の景観を中心に紹介をさせて頂きました。

園林堂の内部は一切、写真撮影禁止でしたが棟方志功の大胆かつ繊細に描かれた襖絵は必見の価値がありました。

また、閬風亭はほぼ写真撮影が可能でしたので滅多に撮れない大広間から眺める庭園の雰囲気も写真におさめることができ、大満足の特別公開でした。

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この記事を書いた人
Kyotaro

京都在住、念願の京都に1戸建て住宅を新築購入した既婚の53歳、フツーの会社員。子供は3人で男ー女ー男の“二太郎+一姫”。将来は奥さんと京都でお洒落なカフェを営むことができればいいな、とささやかな夢を持っています。どうぞよろしくお願いします。

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