祇園祭のスケジュールは?鉾建、宵山の時期と山鉾巡行ルートについて

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“京都はんなりずむ”を訪れて頂きありがとうございます。

京都在住のブロガーKyotaroです。

日本三大祭り、そして京都三大祭りのひとつに数えられる祇園祭は毎年、7月1ケ月を通して行われる八坂神社の祭礼です。

宵山は山鉾巡行の開催時期がクローズアップされますが、ここ数年コロナによる開催中止で各山鉾町で行われる鉾建も注目されるようになりました。

今回は7月1ケ月かけて行われる祇園祭の大まかなスケジュールのポイントを紹介します。


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祇園祭は八坂神社の祭礼

まず始めに祇園祭とは?について説明していきましょう。

普通の夏まつりとは違う祭りの特質がご理解いただけると思います。

祇園祭は2020、2021年と祭りのメインとなる宵山や山鉾巡行が新型コロナの影響によって中止になりましたが、祭りの本義は平安時代に流行した疫病退散を願ったことに由来すると云われています。

詳しく見ていきましょう。

祇園祭と八坂神社について

祇園祭は7月1日の吉符入から始まり、31日の八坂神社境内にある疫神社の夏越祭まで1ケ月に渡って開催される八坂神社と氏子区域の神事・行事です。

意外と知られていないのですが、祇園祭の最大のポイントは京都で有名な八坂神社の祭礼であり、かつ1ケ月かけて行われる重層的なお祭りのスケジュールにあります。

祇園祭の中核ともいうべき行事が7月17日と24日に行われる「神輿渡御」とよばれる行事です。

「神輿渡御」とは年に一回、八坂神社に祀られる御祭神「八坂大神様(素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神)」が氏子区域を廻られます。

7月17日の夕刻に3基の神輿が八坂神社を出発、四条寺町にある八坂神社御旅所へと神興し、7月24日に氏子区域を廻って再び八坂神社へ還る、という神事・行事です。

神輿の風流として生まれた山鉾

祇園祭の主役ともいうべき山鉾ですが、神輿渡御の神輿に伴う風流として生まれたと云われます。

そう、神輿渡御の開催日を見ると前祭の山鉾巡行の日に八坂神社を出て後祭の山鉾巡行日に八坂神社へ戻ることがわかりますね。

山鉾は祭礼の神賑わいであり、山鉾が京都の町を巡ることで都の乱れた空気を浄化して風水を整える役割があるとされているのです。

八坂神社が出す神輿に対して、これら山鉾は古の時代から氏子区域にあたる山鉾町の人々を中心とした町衆が守ってきた伝統があります。

よって現代における山鉾巡行をはじめ山鉾に関わる行事は全て各町同士が集まって組織される「山鉾連合会」によって行われているのです。

八坂神社の祭りと町衆による祭りが習合し、ひとつの祭礼となっている点が祇園祭独特の個性であり、最大の特徴といえます。

祇園祭のスケジュールは?気になる鉾建と宵山の開催時期

では具体的に祭りのメインとなる行事のスケジュールについて見ていきましょう。

特に気になるのが「鉾建」と「宵山」の開催日程、後祭が復活した2015年以降は前祭と後祭でそれぞれ開催日程が決まっています。

イメージ的には前祭の日程が2014年まで鉾建、宵山、山鉾巡行が一本化して行われていたスケジュールです。

ちなみに鉾建と宵山に行くなら「四条河原町」ではなく、「四条烏丸」を目指しましょう。

祭りの主役である山鉾の組み建てはいつ行われる?

祇園祭における主役でもあり、神輿の風流として生まれた山鉾。

祇園祭のメインとなる夕暮れ時の宵山や山鉾巡行のみならず、各山鉾町で組み立てられる鉾建を見学するのも祭りの醍醐味のひとつです。

鉾建が行われるのは7月10~13日にかけて前祭に登場する23基、7月18~21日にかけて後祭に登場する11基の組み立てがそれぞれ街中で行われ、その様子を見学することができます。

鉾建最大の見どころは何といっても収蔵庫から取り出した部材(木材)を釘は一切、使わないで荒縄による縄絡みと言われる伝統技法で組み立てられるところ。

この鉾建の技法も山鉾とともに守り続けられてきた山鉾町における大事な伝統であり、山鉾とともに継承していかないといけない文化財のひとつなんですね。

山鉾建ての特殊技術について

“山鉾建て”にはそれぞれ組み立ての技術を説明した書物がないらしく、長い歴史の中で全て口頭での技術継承の形をとってきたそうです。

現在、“山鉾建て”で組み立てを担っておられるのが70代、80代の方が中心で高齢ということもあり、1,2年でも空いてしまうと技術継承が途絶えてしまう可能性がないと言い切れません。

一基の「山鉾」には大量の部品があり、ひとつひとつ組み立ての順番が決まっており、その手順を覚えることから始まります。

また釘は一切使わず、縄で結びながら「山鉾」を組み立てていく特殊技術ゆえ、力の入れ具合など実際に手を見て体で覚えていかなければならない、というのです。

年に一度、7月に開催されるお祭りですが、細かく大変な技術を駆使して組み立てる“山鉾建て”には我々には想像もつかない苦労があるんですね。

今回はそんな作業風景も間近に見ることができました。

絢爛豪華な「山鉾巡行」も素晴らしいですが、このような「山鉾」の組み立て技術の凄さを間近に見ることができるのも祇園祭の醍醐味ですね。

祇園祭を彩る鉾建の様子

鉾建が行われた各町の山鉾の様子を写真に納めてきました。

山鉾の歴史とともにご覧ください。

長刀鉾(前祭)

鉾先の大長刀が特徴的で鉾の名前の由来となっている、「山鉾巡行」の主役とも言える「長刀鉾」。

古来よりこの鉾は“くじとらず”と称され、毎年必ず「山鉾巡行」の先頭に立つ山鉾として知られ、生稚児(いきちご)の乗る唯一の山鉾として「長刀鉾」は有名です。

長刀は“疫病邪悪”を追い払うものとして、かつては三条小鍛冶宗近作のものが使用されていました。

現在の長刀は1522年(大永2)に三条長吉によって作られたものを保存、複製品を鉾頭としています。

長刀鉾には真木のなかほどにある「天皇座」には和泉小次郎親衛の人形が祀られており、屋根裏には松村景文の筆による金地著彩百鳥図や片岡友輔作の破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿を表した木彫胡粉彩色の彫刻など絢爛豪華な装飾となっている。

函谷鉾(かんこほこ)(前祭)

「函谷鉾」の名前の由来は中国の故事にちなんで付けられたもので、中国戦国時代の斉(せい)の孟嘗君が鶏の声により見事「函谷関」から脱出できたことに由来。

鉾頭の月と山型は山中の闇を表しており、真木のなかほど「天皇座」には孟嘗君、その下には雌雄の鶏が添えられているのが特徴です。

屋根裏には今尾景年の筆による金地彩色鶏鴉図が、宵山の期間は町家にて展示される旧前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた十六世紀の毛綴で装飾されています。

「函谷鉾」は1788年の天明の大火で焼失、五十年後の1839年(天保10)に再興されますが、以来「嘉多丸」という稚児人形が用いられています。

月鉾(前祭)

「月鉾」の名は鉾頭にある新月形(みかづき)に由来し、真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)が祀られています。

鉾頭は1573年(元亀4)と1714年(正徳4)刻銘のふたつあるのですが、1981年(昭和56)から田辺勇蔵寄進の十八金の鉾頭を着装しています。

屋根裏には1784年(天明4)円山応挙の筆とされる金地彩色草花図、天井には1835年(天保6)町内住人の岩城九右衛門の筆とされる金地著彩源氏五十四帖扇面散図が装飾。

天水引の霊獣図刺繍は1835年(天保6)円山応震の下絵、胴懸はインドやトルコの絨毯、また旧前懸のインド絨毯は2000年(平成12)復元でその良好な保存状態から世界でも稀な逸品といわれています。

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鶏鉾(前祭)

「鶏鉾」の名は中国の史話に由来、唐堯の時代に天下がよく治まり、訴訟用の諫鼓(かんこ)も苔が生えるほど用がなくなり、鶏が宿ったという故事によってその心を反映したもの。

鉾頭の三角形の中にある円形は鶏卵が諫鼓の中にある、という意味から「鶏鉾」の名の象徴になっているともいうが、詳細は不明。

真木のなかほど「天王座」には航海の神とされる住吉明神が祀られ、天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春、松村景文など四条派画家の下絵になるものが装飾されている。

また、2021年は約7年ぶりとなる胴掛を蔵出し、2004年まで鉾を飾っていたもので戦国から江戸初期にかけ貿易で富を築いた角倉了以の貿易船をデザインした見事なつづれ織りがお目見えしたことでも話題になりました。。

放下鉾(前祭)

「放下鉾」の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像をお祀りしていることに由来。

鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ている事から別名「すはま鉾」とも呼ばれています。

かつては長刀鉾と同様に生稚児(いきちご)であったが、1929年(昭和4)以降は稚児人形に変えられました。

稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より“三光丸”と命名され、巡行の際には稚児と同様、鉾の上で“稚児舞”ができるように作られています。

大船鉾(後祭)

神功皇后の朝鮮出兵伝説にちなみ、鉾全体で船型を模り、後祭の最終を飾る鉾。

屋形中央部に神功皇后、屋形前部に副将住吉明神、艫部に操舵手鹿島明神、舳先に龍神安曇磯良の四神を安置。

舳先の飾りには1813年(文化10)製の大金幣と1804年(文化元)製の龍頭を隔年使用していたが1864年(元治元)「蛤御門の変」の大火により龍頭が焼失、大金幣のみが現存。

胴幕に使われている羅紗は16世紀のポルトガル製と云われている。

大船鉾は「蛤御門の変」による大火で懸装品類を除いて全てを焼失、以後150年間もの間休み鉾となっていたが2014年(平成26)に復興を遂げた。

南観音山(後祭)

別名「下り観音山」とも呼ばれ、かつて昔は北観音と交替で山鉾巡行にでていたが、現在は両山ともに巡行し、南観音山は後祭りの最後を行く曳山です。

巡行に際して柳の大枝を差し、山の四隅に菊竹梅蘭の木彫薬玉を付け、諸病を防ぐと云われている。

天水引は塩川文鱗下絵の「四神の図」で下水引は加山又造原画の「飛天奏楽」で近年復元新調された。

見送は中国明代の綴織でしたが1988年(昭和63)に加山又造の「竜王渡海図」を新調、使用。

北観音山(後祭)

別名「上り観音山」とも呼ばれ、後祭の先頭を行く曳山。

1353年(文和2)の創建であることが町内に残る古文書に記されており、山の舞台には楊柳観音像と韋駄天像を安置。

山鉾巡行時に柳の枝を差し出しているのは諸病を治すという楊柳観音にちなむ。

破風下の木彫雲鶴は片岡友輔作、天水引は観音唐草と雲龍図を隔年使用している。

また下水引の金地異国祭礼行列図は中島来章の下絵、胴懸類は17~18世紀の花文インド絨毯を使用してたが近年、前後懸は19世紀ペルシャ絨毯、胴懸はトルキスタン絨毯に変更。

八幡山(後祭)

応仁の乱以前の由緒を持つ山で普段、町会所の庭に祀られている八幡宮を宵山から山鉾巡行の間だけ山上に勧請する。

山の上の小祠は総金箔の美麗さを誇り、水引は金地花鳥仙園図唐繍に代わり1986年(昭和61)より不老長寿を意味する十長生図が用いられています。

前懸は1690年(元禄3)に寄進された慶寿群仙人図で1987年(昭和62)に復元新調。

欄縁の彫金飛鶴は河原林秀興作、巡行の際、朱塗の鳥居の上に飾られる木彫胡粉彩色の雄雌一対の鳩は左甚五郎の作と云われる。

宵山の開催日程は決まってるのか?

宵山は前祭と後祭の前にそれぞれ行われる前夜祭のような行事で開催日程は山鉾巡行開催に準ずる為、例年固定されています。

後祭が復活した2015年以降、宵山は前祭が7月14~16日、後祭が7月21~23日の開催となっていますが、夏休み前の前祭7月14~16日のほうが人出も多く、盛り上がるようです。

Kyotaroが学生の頃は、後祭がまだ復活していなかったので7月14~16日にかけて3日間をそれぞれ「宵々々山」「宵々山」「宵山」と呼んでいました。

京都の若者にとっては山鉾の提灯が照らされ、出店もたくさん出て、繁華街が歩行者天国になり、浴衣を着てデートするなどお祭りムードを味わうビッグイベントでもあります。

京都人としても宵山といえば7月中旬という印象が今でも強く、また馴染みの鉾も多いため、特に7月15,16日の宵々山、宵山に行く、という風習が根強いですね。

後祭の復活後も前祭の宵山のほうが盛り上がり、訪れる人が多い印象を受けます。

後祭は前祭のような露店の出店や歩行者天国がない為、人が少なくいので駒形提灯が灯され、祇園囃子が奏でられる風情をゆったり楽しむことができるのでおすすめです。

祇園祭の山鉾巡行ルートは前祭と後祭で違うの?

祇園祭の山鉾巡行は前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)でそれぞれ開催されますが、その巡行ルートについて紹介します。

ポイントは京都の“碁盤の目”と呼ばれる東西南北に走る通りと4つの交差点にあります。

詳しく見ていきましょう。

山鉾巡行ルート、前祭と後祭でどう違う?

祇園祭の山鉾巡行ですが前祭が7月17日、後祭が7月24日にそれぞれ執り行われます。

山鉾巡行のルートですが、わかりやすく言うと前祭が反時計回り、後祭が時計回りに京都の街を巡る形となります。

先ほど申し上げたポイントとなる4つの交差点とは「四条烏丸」「四条河原町」「河原町御池」「烏丸御池」で前祭のみ「新町御池」もポイントとなります。

東西南北に走る4つの通りは南北に走る「烏丸通(オフィス街)」「河原町通(繁華街)」と東西に走る「四条通(繁華街)」と「御池通(オフィス街)」となります。

添付画像の京都市内地図を真上から見た反時計回り(前祭)が四条烏丸→四条河原町→河原町御池→烏丸御池→新町御池時計回り(後祭)が烏丸御池→河原町御池→四条河原町→四条烏丸となります。

ハイライトは前祭の四条河原町交差点での山鉾が旋回する「辻回し」、見晴らしの良い御池通でずらっと山鉾が巡行する雄姿です。

山鉾巡行の醍醐味を味わうなら前祭!

祇園祭の山鉾巡行といえばやはり「前祭」です。

2014年までは「後祭」がなかったので7月17日の現前祭・山鉾巡行が祇園祭観光のクライマックスのイメージがあります。

また、全ての鉾・山が「辻回し」をするわけではありません。

前祭で巡行する「長刀鉾」「函谷鉾」「鶏鉾」「菊水鉾」「月鉾」「放下鉾」「岩戸山」そして「船鉾」の8つの鉾・山のみが「辻回し」を行います。

また、前祭は反時計回りで京都の街を山鉾が巡行しますが、烏丸御池から新町御池まで進み解散となり、最後の「辻回し」を行ってから、鉾は各町に戻り、すぐに解体されます。

先頭の長刀鉾に乗っている稚児が剛力さんに担いで降ろされた瞬間が解散の合図になります。

実は新町御池手前で解散したあとに行われる新町御池で「辻回し」が行われることを観光客の方々は殆ど知らないのです。

新町御池交差点手前で解散のあとに行われる最後の「辻回し」がいちばん近くで見ることができて迫力がある、といいます。

気になるあなたはぜひ、チェックしてみて下さい。

八坂神社へのアクセスと駐車場について

●八坂神社
TEL:075-561-6155
〒605-0073 京都市東山区祇園町北側625
■拝観時間 9:00~16:00(社務所)
■拝観料金 境内自由
■アクセス 阪急京都河原町、京阪祇園四条が便利
・京阪本線/「祇園四条駅」下車徒歩7分
・阪急京都線/「京都河原町駅」下車徒歩12分
・市バス/JR「京都駅」より100、206系統「祇園」下車徒歩すぐ
■駐車場  市営円山駐車場134台/30分250円


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まとめ

今回は3年ぶりに開催される祇園祭・山鉾巡行、宵山など祭りのスケジュールについて紹介させて頂きました。

祇園祭は八坂神社の祭礼で暑い京都で繰り広げられる京都夏の風物詩として夕暮れ時に灯る情緒いっぱいの駒形提灯や“コンチキチーン♪”の音色で知られる祇園囃子が有名です。

かつて後祭が復活する前は、7月17日の山鉾巡行が行われる頃に“梅雨が明け、京都の短くて暑い夏が始まる”という印象がありました。

たくさんの鉾が組み建てられ、静かに山鉾巡行の時を待っている、そんな感じがします。

京都の山鉾町に建てられた鉾の素晴らしさをあなたも体感しに来ませんか。

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