京都在住のブロガーkyotaroです。
連日テレビでは2月から新型コロナウィルスのニュースばかりですね。
緊急事態宣言のためKyotaroのお出かけもままならず、休みの日は家でじっとしてることが多いです。
京都府も特別警戒区域に指定されていますので今は一日も早い終息を願うばかりです。
そんな中、ゴールデンウィーク最中の5月1日に鴨川納涼床「床開き」を迎えましたが、予想通り異例の「床開き」となってニュースが舞い込んできました。
鴨川納涼床は京都初夏の風物詩も2020年は異例の「床開き」
鴨川納涼床といえば京都に初夏の訪れを告げる、季節の風物詩のひとつです。
半袖の季節、夕刻に大学からの帰りになると毎日見ていた光景、明かりが灯る納涼床の下にある堤防沿いではカップルが定間隔で座るというもうひとつの光景も有名です。
納涼床の開催、昔は6月から8月だった?
昔は6月1日から8月31日までの約3ケ月の開催期間でしたが、近年になり5月1日から9月30日までの5ケ月間に期間が延長されるようになりました。
確かkyotaroが大学生の頃はまだ6月から8月までで社会人になって暫くしてから5月1日から9月30日までになったと記憶しています。
京都初夏の風物詩にもコロナ影響
先日の祇園祭「山鉾巡行」同様、鴨川納涼床も新型コロナウィルスによる飲食店の営業自粛の影響から「床開き」しても休業を余儀なくされており、明かりのない床が並びました。
一部営業してる店舗の明かりは灯いてるが、ポツポツとした明かりしか見えないのはもはや「初夏の風物詩」と言える光景ではありません。
店舗によっては国の緊急事態宣言を受けて休廃業したところもあるといいます。本当に残念です。
営業再開は京都観光復活とセット?
鴨川納涼床協同組合に加盟している店舗も5月6日まで一斉に営業自粛をしているところが多く、今回の緊急事態宣言の5月末までの延長がどのように影響するか心配です。
京都市が「観光に来ないで」と言ってるなかで、鴨川納涼床は観光色の高いコンテンツでもあり、単なる飲食店と違いなかなか判断が難しいと思います。
今はただ鴨川にずらっと並ぶ「納涼床」すべてに明かりが灯ることを切に願うばかりです。
鴨川納涼床の開催期間と開催場所、変遷について
さて、現在の「鴨川納涼床」開催期間は毎年5月1日~9月30日までとなっています。
場所は鴨川の二条大橋から五条大橋までの間の西側に「納涼床」がずらっと並びます。
店舗は食事処から洋風レストラン、カフェ、バーなど様々な店舗が並びます。
本当の納涼を楽しむなら「本床」
「鴨川納涼床」では季節ごとに以下のように区切りをつけています。
本当の意味での“納涼”は京都独特の蒸し暑さが本格化する6月からいちばん暑い8月16日(五山送り火)の日までを“本床”と言い、かつての納涼床の期間とほぼ一致してるのです。
店舗によっては昼間(ランチ)の営業してるところもあります。
昔は敷居が高かった「納涼床」のイメージ
Kyotaroが学生の頃までは、「鴨川納涼床」といえば金持ちの道楽的なイメージしかありませんでした。
特に京都にある企業の得意先への接待で使われていたイメージも強かったですね。事実、Kyotaroも会社に入った頃に接待の場に同席したことがあります。
8月に行ったのですが、風が程よく流れ心地良かったのは覚えてます。料理は至って普通でしたが、上司の領収金額は「◎※▲◇▽■×〇」でした。
イメージとしては場所代が高く付くというイメージでしょうか?事実、それくらい敷居が高かったのです。
バブル崩壊とともに観光向けのイメージに
「鴨川納涼床」も世の中の不景気の嵐には勝てなかったのでしょう。「バブル経済」が崩壊、世の中の不景気とともに「納涼床」の客も激減したのです。
金額もそこそこでしたから、各企業の接待費用も削減され、いわゆる贅沢な飲食というイメージの「納涼床」は敬遠されだしたんですね。
先ほども述べましたがKyotaroが就職してから暫くしてから、遠のく客足を復活させるために、開催期間の延長と気軽に入れる店舗の「納涼床」へとイメチェンしたのです。
観光客も気兼ねなく入れるようになった「鴨川納涼床」は再び活気づいていて、特に海外からの観光客(インバウンド)にも高い評価を得ているようです。
京都人が個人的に「納涼床」に行く機会はほとんどありません。せいぜい床のあるバーやカフェに行く程度です。
Kyotaroが昔行ったのは京都勤務だった時があり、会社の飲み会が終わってから、同期入社の子と2軒目にバーの納涼床でカナディアンクラブを飲んでた記憶があります。
女の子と二人で納涼床で飲みながら色々語るとか、背伸びしたい年頃だったんですね。
鴨川納涼床の歴史について
「鴨川納涼床」の歴史はなんと、南北朝時代まで遡ります。
現在の四条河原町あたりを「四条河原」と呼び、当時は川の流れが幾筋にも別れるほど川幅も広く、勧進田楽や遠楽の能を行った市民の憩いの場であったといいます。
「川床」があちこちに設置され、川面を埋め尽くすように川床があったと云われます。「川床」とは現在の貴船で行われるような、まさに川の上に床を設置する様式です。
また、当時は四条大橋の東側(現在の納涼床の対岸)に芝居小屋が作られており、現在の宮川町や先斗町の発展に繋がり、江戸時代には大きな歓楽街となっていったのでした。
この芝居小屋の発端になったのが出雲の阿国があらわれてこの河原で歌舞伎踊を行った河原芝居であったと云われます。
特に夏の納涼は当時から盛んに行われ、北は三条、南は松原に至る河原まで床几を設置して様々な興行がおこなわれていたのです。
その様子は「花洛名勝図会」巻一に描かれており、当時の盛況ぶりが伺えます。
当時東岸にあったお茶の床は「琵琶湖疎水運河の完成」とともになくなり、京阪電鉄の大阪から三条までの開通など開発工事によって鴨川の往時の面影も薄くなったのです。
四条大橋の架け替え、市電開通によって河原の夕涼みの光景は完全に廃止され、現在は昔を偲ぶ鴨川西岸に軒を連ねる「納涼床」へと変貌を遂げてきたのです。
京都は東西北を山に囲まれた盆地のため、昔から夏場の蒸し暑さには定評があり、当時からその厚さを凌ぐ方法を都の人々は色々と考え出し、遊戯としての納涼として根付いたのです。
まとめ
今回は「鴨川納涼床」の開催期間、開催場所、歴史についてまとめました。
歴史を振り返ると現在の「納涼床」とは少し違う形で当時の人々は“納涼”を楽しんでいて京都の開発の歴史とともに現代風に姿を変えてきたんですね。
かつては敷居の高い、金持ちの遊び、という印象でしたが、今は幅広く多くの観光客の方にも開放的に開かれた「鴨川納涼床」になっていますので気軽に楽しむことができます。
一日も早い新型コロナウィルス終息を願うとともに鴨川納涼床協同組合に加盟しているすべての店舗の今後益々の発展を願うばかりです。
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