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京都在住のブロガーKyotaroです。
7月といえば京都は祇園祭のシーズンですが、長引くコロナ禍の影響で残念ながら昨年に続き、2021年も「山鉾巡行」の中止が決まりました。
祇園祭というと前祭(さきまつり)、後祭(あとまつり)の「宵山」や「山鉾巡行」の行事が有名で絢爛豪華な山鉾にばかり注目が集まりますね。
でもこんな時代だからこそ、普段あまり知られていない祇園祭の楽しみ方、歩き方を今回は紹介したいと思います。
深く祇園祭を知って来年以降の祇園祭を楽しんで頂けると幸いです。
祇園祭「山鉾巡行」は2021年も開催中止へ
2020年に続き、2年連続で「山鉾巡行」の中止が決定した祇園祭に京都では落胆ムードが漂いました。
複数年に跨り「山鉾巡行」が中止になるのは、実に太平洋戦争以来の出来事といいますから、祇園祭関係者にとっても苦渋の決断だったのでしょう。
ですが、コロナ禍の苦難を乗り越えるため、長年受け継がれてきた伝統技術を絶やさないために山鉾の保存会が動き出しました。
ここでは2021年の祇園祭の楽しみ方について紹介しましょう。
規模縮小で神事のみ執り行われる祇園祭
まず誤解のないように言うと「祇園祭」そのものが中止になったわけではありません。
まつりのメインで観光要素の高い「山鉾巡行」は前祭、後祭ともに中止ですが、祇園祭の神事は7月1日から31日まで例年通り、規模縮小にて執り行われます。
さらに“山鉾建て”を技術継承のために行う取組みが17基の山鉾保存会で執り行うと発表がありました。
そう2年ぶりに京都の街に“山鉾”17基が前祭、後祭の日程にあわせて登場するのです。
前祭と後祭
祇園祭の「山鉾巡行」は前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれており、両方合わせて34基の山鉾が例年巡行します。
例年ですと前祭の山鉾巡行が7月17日、後祭の山鉾巡行が7月24日に執り行われます。
また、山鉾巡行に先駆けてそれぞれ7月14~16日に前祭・宵山行事、7月21~23日に後祭・宵山行事が執り行われます。
そう、祇園祭の行事の中でもこの「宵山行事」と「山鉾巡行」が観光要素が高く、多くの観光客で賑わう行事なんですね。
毎年、テレビのニュースでも話題になります。
技術継承と文化財維持のための山鉾建て
2020年巡行行事中止の際、山鉾は一切見ることができませんでしたが、2021年は実に17基の保存会が“山鉾建て”を行います。
具体的には前祭で11基、後祭で6基が観覧自粛を呼び掛けつつ“山鉾建て”をそれぞれ行うのでその雄姿を2021年は街中で見ることができます。
今回“山鉾建て”を行うのは「前祭」では、長刀鉾、霰天神山、孟宗山、函谷鉾、白楽天山、綾傘鉾、月鉾、鶏鉾、蟷螂山、放下鉾、伯牙山(※期間短縮での予定)の11基。
そして「後祭」では大船鉾、八幡山、北観音山、役行者山、鯉山、南観音山、6基の“山鉾建て”が行われます。
ところで“山鉾建て”が行われるのはとても嬉しいニュースですが、“山鉾建て”を行う理由は他にもふたつあるのをご存じでしょうか?
伝統技術継承のため
ひとつめの理由は、山鉾を荒縄を使って組み立てる“縄がらみ”と呼ばれる特殊な技法“鉾建ての技術”を絶やさず、後世に継承するための意味合いがあります。
あの重厚な山鉾ですが、組み立てるのみ釘等は一切、使用されておらず、“縄がらみ”という特殊技術でのみ組み立てられてるのをあなたはご存じでしょうか?
山鉾を彩る文化財維持のため
もうひとつの理由には、山鉾を飾る懸装品は普段から蔵で保管されているため、年に1回祇園祭で外気に当てることで“虫干し”の意味があるそうです。
そう、今回の“山鉾建て”で飾り付けまで行うのはまさに文化財維持のためでもあるんですね。
せっかく“山鉾建て”をして山鉾の雄姿を見るのですから、あの絢爛豪華な山鉾を見たい、と誰もが願うのではないでしょうか?
祇園祭とは八坂神社の疫病退散を祈願した神事
祇園祭は平安時代、869年(貞観11)からはじまり、当時の京都で疫病が大流行し、たくさんの人々が命を落としました。
当時は医学もそこまで発達しておらず、猛威を振るう疫病を「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」という神仏祈願によって終息を願ったと云われています。
この「祇園御霊会」が現代の祇園祭の起源であり、八坂神社で執り行われる「疫病退散」を祈願する神事だったのです。
毎年7月に行われる祇園祭はの神事は7月1日に八坂神社での「長刀鉾町お千度」で始まり、7月31日に八坂神社境内の疫神社で行われる「疫神社夏越祭」で締めくくりとなります。
2021年祇園祭を楽しむのなら、まず京都八坂神社へ行き、2020年国宝に指定された「本殿」、その後に境内の「疫神社」をそれぞれお参りしましょう。
期間中、境内は祇園祭ののぼりや提灯が飾られ、舞殿には“西御座”“中御座”“東御座”三基の見事な神輿が安置されており、自由に拝観することができます。
“中御座”には八坂神社の主祭神・素戔嗚尊が、“東御座”には素戔嗚尊の后神である櫛稲田姫命、“西御座”には素戔嗚尊と櫛稲田姫命のお子にあたる八柱御子神をそれぞれおのせする神輿です。
八坂神社には祇園祭の時期ならではの見どころもありますのでぜひ併せてお参りください。
2年連続の山鉾巡行中止と山鉾建てへの想い
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている「山鉾巡行」ですが、2021年は中止となったものの“山鉾建て”は行われることに。
その背景には「技術継承維持」がある、と祇園祭山鉾連合会から説明があったのですが、1000年以上の歴史を誇る“山鉾建て”で代々受け継がれてきた技術継承は1,2年の中止で失われるのでしょうか?
山鉾建ての特殊技術について
“山鉾建て”にはそれぞれ組み立ての技術を説明した書物がないらしく、長い歴史の中で全て口頭での技術継承の形をとってきたそうです。
現在、“山鉾建て”で組み立てを担っておられるのが70代、80代の方が中心で高齢ということもあり、1,2年でも空いてしまうと技術継承が途絶えてしまう可能性がないと言い切れません。
一基の「山鉾」には大量の部品があり、ひとつひとつ組み立ての順番が決まっており、その手順を覚えることから始まります。
また釘は一切使わず、縄で結びながら「山鉾」を組み立てていく特殊技術ゆえ、力の入れ具合など実際に手を見て体で覚えていかなければならない、というのです。
年に一度、7月に開催されるお祭りですが、細かく大変な技術を駆使して組み立てる“山鉾建て”には我々には想像もつかない苦労があるんですね。
今回はそんな作業風景も間近に見ることができました。
絢爛豪華な「山鉾巡行」も素晴らしいですが、このような「山鉾」の組み立て技術の凄さを間近に見ることができるのも祇園祭の醍醐味ですね。
祇園祭を彩る山鉾建ての様子
2021年“山鉾建て”が行われた「山鉾」の様子を写真に納めてきました。
各山鉾の歴史とともにご覧ください。
詳しく見ていきましょう。
長刀鉾
鉾先の大長刀が特徴的で鉾の名前の由来となっている、「山鉾巡行」の主役とも言える「長刀鉾」。
古来よりこの鉾は“くじとらず”と称され、毎年必ず「山鉾巡行」の先頭に立つ山鉾として知られ、生稚児(いきちご)の乗る唯一の山鉾として「長刀鉾」は有名です。
長刀は“疫病邪悪”を追い払うものとして、かつては三条小鍛冶宗近作のものが使用されていました。
現在の長刀は1522年(大永2)に三条長吉によって作られたものを保存、複製品を鉾頭としています。
長刀鉾には真木のなかほどにある「天皇座」には和泉小次郎親衛の人形が祀られており、屋根裏には松村景文の筆による金地著彩百鳥図や片岡友輔作の破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿を表した木彫胡粉彩色の彫刻など絢爛豪華な装飾となっている。
函谷鉾(かんこほこ)
「函谷鉾」の名前の由来は中国の故事にちなんで付けられたもので、中国戦国時代の斉(せい)の孟嘗君が鶏の声により見事「函谷関」から脱出できたことに由来。
鉾頭の月と山型は山中の闇を表しており、真木のなかほど「天皇座」には孟嘗君、その下には雌雄の鶏が添えられているのが特徴です。
屋根裏には今尾景年の筆による金地彩色鶏鴉図が、宵山の期間は町家にて展示される旧前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた十六世紀の毛綴で装飾されています。
「函谷鉾」は1788年の天明の大火で焼失、五十年後の1839年(天保10)に再興されますが、以来「嘉多丸」という稚児人形が用いられています。
月鉾
「月鉾」の名は鉾頭にある新月形(みかづき)に由来し、真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)が祀られています。
鉾頭は1573年(元亀4)と1714年(正徳4)刻銘のふたつあるのですが、1981年(昭和56)から田辺勇蔵寄進の十八金の鉾頭を着装しています。
屋根裏には1784年(天明4)円山応挙の筆とされる金地彩色草花図、天井には1835年(天保6)町内住人の岩城九右衛門の筆とされる金地著彩源氏五十四帖扇面散図が装飾。
天水引の霊獣図刺繍は1835年(天保6)円山応震の下絵、胴懸はインドやトルコの絨毯、また旧前懸のインド絨毯は2000年(平成12)復元でその良好な保存状態から世界でも稀な逸品といわれています。
鶏鉾
「鶏鉾」の名は中国の史話に由来、唐堯の時代に天下がよく治まり、訴訟用の諫鼓(かんこ)も苔が生えるほど用がなくなり、鶏が宿ったという故事によってその心を反映したもの。
鉾頭の三角形の中にある円形は鶏卵が諫鼓の中にある、という意味から「鶏鉾」の名の象徴になっているともいうが、詳細は不明。
真木のなかほど「天王座」には航海の神とされる住吉明神が祀られ、天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春、松村景文など四条派画家の下絵になるものが装飾されている。
また、2021年は約7年ぶりとなる胴掛を蔵出し、2004年まで鉾を飾っていたもので戦国から江戸初期にかけ貿易で富を築いた角倉了以の貿易船をデザインした見事なつづれ織りがお目見え。
角倉了以400回忌に合わせ飾られた2013年以降は秘蔵となっていましたが、今回は状態確認も兼ね鉾に飾られることになった必見の胴懸です。
放下鉾
「放下鉾」の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像をお祀りしていることに由来。
鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ている事から別名「すはま鉾」とも呼ばれています。
かつては長刀鉾と同様に生稚児(いきちご)であったが、1929年(昭和4)以降は稚児人形に変えられました。
稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より“三光丸”と命名され、巡行の際には稚児と同様、鉾の上で“稚児舞”ができるように作られています。
祇園祭マナーアップキャンペーン
2021年の祇園祭では“疫病退散”を祈る祭りの本義に則り、また“重要有形民俗文化財”である「京都祇園祭の山鉾行事」の作事方等の技術維持のため従事する者の新型コロナウイルス感染症対策を徹底したうえで可能な範囲で“山鉾建て”を実施。
山鉾は各町で組み立てられたものを鑑賞することができますが、長時間立ち止まって撮影することを禁止、ソーシャルディスタンスの確保など3密を回避するための取組みのもとで行われます。
当然ながら、観光する側も新型コロナウィルス感染拡大防止への対策を万全にし、マナーを守った鑑賞を心掛けて頂きますようお願いします。
以上、当たり前のことですが「祇園祭マナーアップキャンペーン」の概要となります。
まとめ
今回は2021年の祇園祭の見どころ、歩き方についてまとめました。
コロナ禍に伴い、2020年に続き、2021年も「山鉾巡行」が中止となりましたが、“疫病退散”を祈る祭りの本義や“山鉾建て”に込められた技術継承への思いに触れることができたのも事実です。
改めて観光要素の高い“お祭り”としての側面以外でも“疫病退散”への祈願を込めた“神事”としての本義を考えさせられた2年間でもあったように思います。
そんな祇園祭関係者の様々な思いに触れて頂き、来年こそは祇園祭を心の底からお楽しみいただけることを祈っています。
コロナの早期終息とかつての日常が一日も早く取り戻せることを願って。
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