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当ブログ管理人、京都在住のKyotaroです。
今回は京都御苑の近くにある「廬山寺」の紹介です。
ここは世界の偉人・紫式部が源氏物語を執筆した邸宅跡であり、あの明智光秀公の念持仏が安置されているお寺でもあります。
6月から9月の長期にわたり庭園では桔梗の花を見ることもできますので初夏から夏に訪れることをおすすめします。
廬山寺は桔梗が咲く紫式部が源氏物語を執筆した邸宅址
廬山寺は正式名称を「廬山天台講寺」といい、天台圓浄宗の大本山です。
その歴史と由来を見ていきましょう。
廬山寺、創建の歴史と由来
始まりは938年(天慶年間)に比叡山第十八世座主である元三大師良源(慈恵大師)が京都の船岡山南麓に開いたという與願金剛院です。
のち1245年(寛元3)に法然上人に帰依した住心房覚瑜上人が出雲路に開いたという廬山寺とを兼務していた明導照源上人によって1368年(応安元)に與願金剛院と統合します。
この時に寺名を「廬山天台講寺」と改めることとなります。
後に応仁の乱の兵火に遭遇、信長の比叡山焼き討ちの後、光秀が延暦寺の末寺として「廬山寺」を攻めようとするも正親町天皇の勅命により、焼き討ちを免れたといいます。
1573年には現在地である紫式部邸宅址に移転したと云われています。
廬山寺は紫式部が源氏物語を執筆した邸宅址地
「廬山天台講寺」は紫式部が源氏物語を執筆した邸宅の址地に移転したわけですが、邸宅址地は紫式部の祖父母である“中納言藤原兼輔”から伯父の“為頼”、父である“為時”へと引き継がれた広大な邸宅であったと云われます。
当時の邸宅は鴨川西側の堤防に接して建っていたことから「堤邸」とも呼ばれ、そのことに因み兼輔は「堤中納言」の名で知られていました。
為時の娘であった紫式部は“中納言藤原兼輔”が建てたこの邸宅で藤原宣孝と結婚生活を送り、その一生の大部分をこの邸宅で過ごして「源氏物語」を執筆しました。
度重なる戦火によって本堂は焼失し、現在の本堂は1794年(寛政6)に光格天皇が仙洞御所より移築したものです。
明治維新までは御黒戸四箇院と云い、二尊院、般舟院、遺迎院とともに宮中の仏事を司る四ケ寺のひとつとして重要な役割を果たしてきました。
廬山寺の見どころについて
今回、拝観して写真に収められたのは源氏庭と式部顕彰碑くらいで堂内は一切、撮影禁止のためここでは紹介できません。
ぜひ、廬山寺を訪れて頂き、拝観をいただければと思います。特に“光秀の念持仏”は必見の価値ありです。
式部顕彰碑
紫式部の邸宅址は考古学者の角田文衛博士により1965年(昭和40)に考証、新村出博士により現在、境内にある顕彰碑に「紫式部邸宅址」と揮毫されました。
この邸宅で紫式部は結婚生活を送り、一人娘の賢子を育てながら源氏物語を執筆したと云われます。
この地はかつて平安京の東にあたる中河と呼ばれ、現在の廬山寺の境内を中心とする地に営まれていたのです。
源氏庭
平安朝時代の庭園の「感」を表現し、白砂と苔のコントラストが美しい景観を作り上げています。
毎年6~9月までの期間は桔梗の花が庭園内に咲き誇り、まさに美しい庭園に静かに花を添えています。
廬山寺は普段から参拝者が少ないこともあり、軒先に座ってぼ~っと庭園を眺めて過ごすのもおすすめです。(※桜や紅葉シーズンは除く)
廬山寺に預けられた明智光秀公の念持仏を拝観
廬山寺の方丈にて2020年2月11日から11月30日まで特別展示されている「明智光秀公念持仏」は中央に地蔵菩薩像、向かって右側が不動明王立像、左側に毘沙門天立像の三尊からなり、桃山時代の作と云われています。※画像は廬山寺パンフより
中央の地蔵菩薩像は取り外しが可能で光秀公は出陣の際に、取り外しが可能である地蔵菩薩像のみを持ち運び、陣中において戦の勝利を日々礼拝していたといいます。
三尊像はいずれも小さく、その表情もよく見ないとわからないほどの大きさです。
もともと念持仏とは身近に置いて日頃より信仰、礼拝の対象とする仏像の事をいい、持仏とも言われます。
明智光秀公のように戦乱時には陣中で護持いたことから「陣仏(じんぼとけ)」、遊行などにも持ち歩いたことから「守本尊(まもりほんぞん)」とも呼ばれます。
普段は持仏堂や厨子に安置されることが多く、そのほとんどはお守り代わりに携帯できるような小型の仏像であることがほとんどである。
廬山寺へのアクセスと駐車場について
■廬山寺
TEL:075-231-0355
〒602-0844 京都府京都市上京区寺町広小路上る
拝観料金 大人600円 小中学生500円
拝観時間 9:00~16:00
アクセス 市バス又は京阪電車が便利
市バス/「府立医大病院前」下車、徒歩約3分
「河原町丸太町」下車、徒歩約10分
京阪鴨東線/「神宮丸太町駅」下車、徒歩約15分
「出町柳駅」下車、徒歩約20分
駐車場 専用無料駐車場あり(15台)
まとめ
今回は京都御苑近くにある「廬山寺」の紹介でした。
あの紫式部が「源氏物語」の大半をこの地で執筆したという邸宅址にあたり、また信長による延暦寺焼き討ちに伴う、光秀からの焼き討ちを免れたことでも有名な寺院。
のちにそのご縁もあり、“光秀の念持仏”が預けられることになるのですが、その特別展が今年は開催されており、2020年11月30日まで廬山寺の方丈にて展示されています。
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