京都在住のブロガーKyotaroです。
京都の寺町丸太町を少し南に下ったところに「下御霊神社」があります。
ここは“笑う?狛犬”と28年前に復活した“地下水”がとても有名な神社です。
コロナ蔓延の中、疫病退散の思いを込めて参拝に訪れたら、ユニークな狛犬とペットボトルに湧き出る地下水をくみ上げる光景を目の当たりにしました。
下御霊神社・境内の見どころと由来について紹介します。
下御霊神社は笑う狛犬がお出迎え?
下御霊神社は京都の寺町丸太町下る、京都御所の南東方向に位置する神社です。
ここにある狛犬が実にユニークな表情をしてるということで結構、有名になってるようで参拝にわざわざ訪れる人もいるらしい。
狛犬が大きく口を開けて「笑っている」というではないか?「本当かよ~!?」
実はコロナ退散祈願に訪れたのですが、鳥居の影に隠れて気付かない人もいるかもしれませんが、鳥居の柱のすぐ後ろに狛犬がいます。
下御霊神社の狛犬を見て気付いたのですが、もともと狛犬は“犬”ではなく、“獅子”なんですね。
京都はどこの神社でも狛犬、狛狐、狛兎、狛猪など様々なタイプがいます。
姿こそ違えど共通してるのは「阿吽像」と同じく、向かって左手の像は口を真一文字に、右手の像は口を開けて雄たけびをあげる、というのが慣例です。
下御霊神社の狛犬も向かって右側の狛犬は口をつむって難しそうな表情をしてるのですが、反対側の狛犬は確かに「笑う」というよりは「がっはっはっは~」という感じ。
ユニークなお出迎えをしてくれた狛犬を尻目に境内参拝へと進みましょう。
下御霊神社の地下水はミシュラン二つ星料亭のお墨付き?
ユニークな狛犬を写真に収めて、もうひとつ気になる光景が目に入って来ました。
鳥居を潜ってすぐ左手にある手水舎、ここは地下から名水が湧き出てるのです。
28年前の1992年までは地下水も枯れてたそうなのですが、突然復活し、実に50年ぶりに同じ勇水郡から名水が湧きだしたといいます。
貼紙がしてあったのですぐわかったのですが、目を引いたのは地元の人たちがたくさんのペットボトルを抱えて自転車のカゴにいっぱい積み込んで帰る人が並んでる光景。
そこまで有名なのか?地元の人たちだけなのか?と調べてると驚く事実がわかりました。
祇園にある高級料亭「大渡」のオーナーもここの地下水を使って料亭名物料理「かぶらのふろふき」を調理してるというのです。
祇園の「大渡」といえば数年前にミシュランガイドで一つ星を獲得、現在は二つ星を獲得しているという京都を代表する高級料亭。
なるほど、そこまでの地下水なら水を汲みにくるわけですね。いつの間にか口コミで広がり、名水として有名になったようです。
下御霊神社の由来と御利益について
下御霊神社の創建は平安時代ですが、詳しい年代は不明のようです。
一部、雑誌等で紹介されてるものもあるようですが、確証はないらしいですね。
「御霊会」が始まったきっかけとは?
下御霊神社が創建された平安時代は貴族文化が隆盛した時代で華やかなイメージとともに一方では災害、疫病の流行に民が怯える時代でもありました。
疫病に関してはひとたび感染が広がるとワクチンもなければ、医術も未発達な時代であったため恐怖におののくばかり。
また、当時の人たちは災害や疫病の原因をもたらすのは、政治抗争などで冤罪を被り、非業の死を遂げた貴人たちの怨霊が巻き起こしたものだと真剣に考えられてたようです。
京都ではこの頃から、貴人たちの怨霊を御霊としてお祀りをしてきちんとお慰め申し上げることによって災禍からの守護を祈念するため「御霊会」を行うようになったのです。
下御霊神社の始まり
怨霊を慰めて御霊として祀ることで加護を祈る習わしは、京都の郊外で広まっていきました。
後に八所御霊としてお祀りすることで御神徳が高まると考えられ、下御霊神社が創建されたのです。
神泉苑で行われた御霊会に祀られた六座(崇道天皇、伊豫親王、藤原大夫人、藤大夫、橘逸勢、文屋宮太麻呂)、これに二座加えた八座をお祀りする「八所御霊」が御祭神です。
創建された具体的な年は不明ですが、愛宕郡出雲郷(現下鴨神社付近)の下出雲寺(廃寺)の
境内に鎮座したのが始まりと云われています。
下御霊神社の御祭神と御利益
下御霊神社の御祭神は本殿八座と相殿一座の九神が祀られています。
御祭神には、非業の死を遂げた貴人たちが多く、その魂を慰めるための御霊会であったと云われます。
また、御利益については疫病退散、災厄退散の神様であることは「御霊会」信仰の歴史からみても明白である。
現代でいうとまさしく「新型コロナウィルス」の退散を祈願するところです。
御祭神の詳細については以下の通りです。
本殿八座
・吉備聖霊(六座の和魂)
・崇道天皇(早良親王)※桓武天皇皇太子
・伊豫親王
・藤原大夫人(伊豫親王御母)
・藤大夫(藤原廣嗣命)
・橘大夫(橘逸勢)
・文大夫(文屋宮太麻呂命)
・火雷天神(六座の荒魂)
相殿一座
・天中柱皇神(霊元天皇)
下御霊神社の境内末社
下御霊神社には8つの末社があり、本殿を中心に小さな末社や三社託宣社、五社相殿社など様々な形態のお祀りをされた社があります。
それぞれ見ていきましょう。
神明社・八幡社・春日社
本殿の左手奥、社務所の前に伊勢、八幡、春日を祀る「三社託宣社」があります。
下御霊神社の三社託宣社(伊勢、八幡、春日)は社として祀られていること自体がとても珍しく、古来より三社託宣社は掛け軸などで頒布されることが多い。
猿田彦社
垂加社(御祭神・山崎闇斎)、柿本歌聖(御祭神・柿本人麻呂)との相殿で猿田彦大神を祀る境内末社。
稲荷社
境内末社のひとつで御祭神は稲荷大神。
天満宮社
境内末社のひとつで御祭神は北野大神。
宗像社
境内末社のひとつで御祭神は田心姫命、瑞津姫命、市杵島姫命。
五社相殿社
境内末社のひとつで五社相殿の合祀。ご祭神は日吉大神、愛宕大神、大将軍八神、高知穂神、斎部神の五神が祀られている。
下御霊神社へのアクセスと駐車場について
■下御霊神社
TEL:075-231-3530
〒604-0995 京都市中京区寺町通丸太町下る
拝観時間 参拝自由(社務所は9:00~17:00)
拝観料金 境内自由
アクセス 京阪鴨東線「丸太町駅」から徒歩
・京阪鴨東線「神宮丸太町駅」下車、徒歩5分
・地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、徒歩10分
・市バス「河原町丸太町」下車、徒歩2分
駐車場 あり(数台程度)
まとめ
平安時代に貴族文化が隆盛した京都ならではの習わしである「御霊会」。
その主たる目的は疫病退散、災厄退散祈願だったのです。
平安時代当時の疫病といえば、咳逆、天然痘、赤痢などで「咳逆」は現代風にいうと「新型コロナウィルス」に当てはまるのではないでしょうか?
かれこれ不自由な生活が始まって2ケ月以上、下御霊神社にて一日も早いコロナ退散を願うばかりです。
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