西本願寺の見どころと豆知識を紹介、行き方と駐車場はどうなってる?

神社仏閣(観光)

<西本願寺境内から京都タワーを遠望>

京都在住のブロガーKyotaroです。

今回は地元京都では“お西さん”として親しまれている「西本願寺」の紹介です。

境内には国宝や重要文化財指定の建造物が多く残されている見どころ満載の寺院を東本願寺との関係性など歴史的背景からも紹介していきます。

歴史の舞台にもなった西本願寺の見どころと豆知識について詳しく見ていきましょう。


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西本願寺の見どころと豆知識について

「西本願寺」は地元京都で通称“お西さん”という呼び名で親しまれています。

もともとは親鸞聖人を宗祖とするひとつの寺院でしたが歴史上、東本願寺とふたつに分裂することになります。

なぜ、ふたつに分裂することになったのか?についての歴史的背景は後ほど詳しく紹介するとしてここでは「西本願寺」の見どころと豆知識について紹介していきましょう。

特に豆知識については、さらに深堀した内容となっており、訪ねる前に知っておくことで満足度があがること間違いなしのポイントとして押さえておきましょう。

西本願寺の見どころ

「西本願寺」境内にある国宝、重要文化財を中心に見どころとして紹介していきましょう。

大きな御影堂、阿弥陀堂があるのは東本願寺にも共通しており、まずはこの2ケ所をしっかりお参りしましょう。

※2021年5月現在、阿弥陀堂内陣の改修工事に伴い御本尊の阿弥陀如来は御影堂に安置されています。

御影堂門(重文)

親鸞聖人600回大遠忌前の1859年(安政6)、700回大遠忌の1960年(昭和35)、そして750回大遠忌前の2006年(平成18)~2009年(平成21)にそれぞれ修理が行われてきた「御影堂門」。

屋根の修復では瓦の葺き替えを行い、再利用する旧瓦は屋根の南側にまとめて使用されています。

堀川通に面し、総門と向き合うように建っており、国の重要文化財に指定されています。

総門(重文)

歴史上、3度の移築が行われており、現在の位置には1959年(昭和34)に京都市内交通量の増加に伴い堀川通の拡張計画のため京都市から要請を受けて移築。

御影堂門と向き合うように堀川通を挟んだ向い側(東側)に建っています。

虹梁(こうりょう)に大柄な二組の蟇股(かえるまた)があるのが特徴で最近は2011年(平成23)に修復されました。

現在も普通に門の下を車や自転車、人が行き来している生活道路になっています。

御影堂(国宝)

「御影堂(ごえいどう)」は1636年(寛永13)に再建されたもので1999(平成11)~2009年(平成21)までの10年間、大修復工事が行われました。

内陣中央には親鸞聖人の御真影(木像)が安置されています。

東西48m、南北62m、高さが29mの建造物で外陣は441枚の畳が敷かれており、1,200名以上が同時に参拝できる規模のお堂で国宝に指定されています。

227本の柱があり、屋根には115,000枚もの瓦が使用されており東本願寺の御影堂と並ぶ“世界最大級の木像建築”として有名。

阿弥陀堂門(重文)

「阿弥陀堂門」は昭和期の阿弥陀堂修復を機に1983年(昭和58)に檜皮(ひわだ)の一部葺き替え、飾金具修復、金箔押しなどの補修工事が行われ、創建当初の美しい姿を再現。

2009年(平成21)の御影堂門と築地塀修理の併せて修復工事が行われ、鮮やかな存在感を示しています。

御影堂門と並ぶ北側、堀川通沿いに位置しており、絢爛豪華な美しさに思わず立ち止まってしまいます。

阿弥陀堂(国宝)

「阿弥陀堂」は1760年(宝暦10)に再建され、1985年(昭和60)に修復が行われました。

東西42m、南北45m、高さ25mの規模を誇り、外陣には285枚の畳が敷かれ、800名以上が同時に参拝することが可能。

中央に阿弥陀如来木像、両脇にインド、中国、日本において浄土教の教えを受け継いだ7人の高僧のうち六師を安置。

六師とは「龍樹菩薩」「天親菩薩」「曇鸞大師」「道綽禅師」「善導大師」「源信和尚」。

さらに両余間には法然聖人と聖徳太子の影像も安置されています。

※2021年5月現在、阿弥陀堂内陣の修復工事のため御本尊の阿弥陀如来像は御影堂にお移しして安置、外陣のみ拝観ができます。

経蔵(重文)

1635年(寛永12)に江戸の寛永寺で発起、12年の歳月をかけて完成、天海僧正が開版した「大蔵経(一切経)」が納められています。

国の重要文化財に指定。

大銀杏

根っこを広げたような形をしてるので「逆さ銀杏」とも呼ばれており、樹齢は約400年と云われ、京都市の“天然記念物”に指定。

本願寺が火災に遭った時にこの銀杏が水を吹き出し、消化したという伝説があり「水吹き銀杏」とも呼ばれています。

目隠塀(重文)

御影堂門と御影堂の間に立つ目隠塀で江戸後期の建築。

切妻造、本瓦葺、真壁造の塀で国の重要文化財に指定されています。

手水舎(重文)

「手水舎」は2010年(平成22)に修復されたもので国の重要文化財に指定。

四方を開放した花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸、水盤を据えており、破風板には錺金具が付けられている。

最大の特徴は軸部を方形礎盤に几帳面取角柱を立て、内法虹梁(うちのりこうりょう)で繋ぎ、柱頂部の舟肘木と内法虹梁上の蟇股(かえるまた)で受けて鏡天井を張っている。

境内中央お茶処の前に位置し、阿弥陀堂と御影堂が見渡せます。

飛雲閣(国宝)と鐘楼(重文)

2020年4月に約2年10ケ月に及ぶ修復工事を完了した「飛雲閣」は国宝に指定されており、金閣寺、銀閣寺と並ぶ「京都三名閣」のひとつに数えられる楼閣建築として有名です。

通常非公開となっており、「飛雲閣」の滴翠園(庭園)東北隅にある「鐘楼」は国の重要文化財に指定、普段でも拝観することができます。

<※鐘楼前よりわずかに見える「飛雲閣」>

「鐘楼」は現在も法要の始まる1時間前、又は30分前に撞かれています。

現在の梵鐘は二代目で初代、太秦の広隆寺から1600年(慶長5)頃に譲り受けたという鐘はお茶処南側に保存されています。

書院(国宝)

西本願寺の「書院(国宝)」は桃山時代に発達したという豪壮華麗な書院造の代表的な造りとなっており、座敷飾完備、金碧障壁画や彫刻で飾られています。

対面所と白書院に大別され、書院北側には現存する最古の能舞台「北能舞台」、南側には親鸞聖人の降誕会に祝賀能が舞われる「南能舞台」があり、ともに重要文化財に指定されています。

唐門(国宝)

「唐門」は桃山時代の豪華な装飾彫刻が施された檜皮葺き(ひわだぶき)、唐破風(からはふ)の絢爛豪華な四脚門で国宝に指定。

その美しさから思わず日が暮れるのを忘れて見とれてしまうことから「日暮らし門」と呼ばれています。


※2018年(平成30)6月~2022年(令和4)3月まで修復工事中。

大玄関

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「大玄関」は本瓦葺き入母屋造りの妻入りに唐破風(からはふ)を設けた建築様式で、公式行事などに際して、来客用に使用された玄関口です。

創建年代について詳しく分かっておらず、1760年(宝暦10)の親鸞聖人500回大遠忌の時にはその姿が記録に残されており、この時期の少し前の建造ではないか、との説が有力。

また大玄関に正対する「大玄関門」は1847年(弘化4)に造られ、左右に門番屋がある重厚な門構えとなっています。

寺院でありながらも武家時代の遺風が残る代表的な建築様式となっている点にも注目したい。

西本願寺と新選組

西本願寺と新選組の関係について紹介しましょう。

西本願寺境内の北東角(阿弥陀堂門の北側)には「太鼓楼(たいころう)」があり、かつて新選組が使用していたと云われています。

池田屋騒動が契機

1864年(元治元)の「池田屋騒動」は新選組の名を天下にとどろかせた歴史的な事件として有名です。

「池田屋騒動」以降に新選組は隊士が200名以上まで一気に増えたため壬生の屯所が手狭となり、屯所を本願寺に移したことが本願寺との繋がりの始まりです。

当時、境内には「新選組本陣」の看板を掲げていたといい、「太鼓楼(たいころう)」と「北集会所(※姫路の本徳寺へ移築)」を屯所として使用していました。

また、本願寺には尊王攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩の志士たちが出入していたこともあり、本願寺に屯所を移すことで一石二鳥の効果があったといいます。

僧侶や門信徒を震撼させる存在?

新選組は本願寺境内で大砲を轟かせたり、実弾を使用した射撃訓練を日々行うなど乱暴を繰り返し、僧侶や門信徒を震撼させる存在だったようです。

確かに寺院のなかで乱暴を働き、まして日々訓練とはいえ鉄砲を打ち放っていたとは大概の横着ぶりで現代では考えられませんね。

新選組自体が結成からの活動が約6年と短かったため、そう長く混乱は続かなかったようです。

新選組の元隊士であった島田魁が明治維新後に本願寺の守衛を務めたという話が伝わっており、終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたと云われています。

西本願寺拝観の豆知識

「西本願寺」境内には国宝や重要文化財に指定される建造物以外にも知っておきたい見どころがありますので紹介します。

知らなければ普通に見逃してしまうものもありますので、訪れる前にぜひチェックしてからお出かけください。

天の邪鬼(あまのじゃく)

まずひとつめは「御影堂」正面の左右二ケ所にある約1,5m四方の天水受けに注目してみましょう。

四方四隅の下にはそれぞれ4人、両方合わせて8人の「天の邪鬼(あまのじゃく)」が天水受けを支えているのがわかります。

身長約38㎝に対して顔の大きさが縦15㎝とほぼ二頭身のずんぐり体形が特徴的で“膝にてをつく者”もいれば“胸の前で手を併せてる者”など個性あふれる「天の邪鬼」たち。

小さな石像ですが、かなり年季が入ってるのが感じられ、1636年(寛永13)からずっと天水受けを支え続けていると云われています。

沓石(くついし)

ふたつめは御影堂や阿弥陀堂の柱、または縁側の束柱を受けるために用いる石に注目。

この柱や縁側の束柱を受ける石を「沓石(くついし)」と呼び、別名「根石」や「柱石」とも呼ばれます。

御影堂の「沓石」は「木製」で「石」ではありませんが、木の隙間から中を覗いてみると中身は「石」であることがわかります。

もとは“ざくろの木”で造られていた「沓石」ですが、親鸞聖人600回大遠忌を迎えるにあたり、修理が行われ、木では腐る可能性があることから「石」が用いられました。

現在のものはその当時、当初の面影を残すために表面を厚さ3㎝の木で覆ったと云われています。

縁側と廊下の埋め木

最後みっつめに紹介するのは“大工さんの遊び心”です。

御影堂や阿弥陀堂の廊下は何気なく歩いて通り過ぎる場所ですが、よく見てみると所々に様々な形をした“埋め木”を見ることができます。

“埋め木”とは木材の補強・修復や再利用をするために亀裂や穴を木片で繕うことを指します。

色々な場所にとっくりや瓢箪、富士山をかたどった“埋め木”が結構あります。

御影堂、阿弥陀堂ともに大きな建物で廊下も長いためたくさんの種類を見ることができますのでぜひあなたも注意してみてみましょう。

中にはもみじをかたどったものまでありますのでお参りの後、ぜひ探してみて下さい。

西本願寺・東本願寺と豊臣秀吉・徳川家康

西本願寺と東本願寺はもとはひとつの“本願寺”でしたが、日本の歴史のなかでふたつに分かれてしまいます。

なぜ?「西本願寺」「東本願寺」はふたつに分裂してしまったのでしょうか?

豊臣秀吉と徳川家康

豊臣秀吉の母である大政所は熱心な本願寺門徒であったと云われています。

その影響から秀吉自身も本願寺を保護する姿勢をみせ、1591年(天正19)第十一代顕如上人に対し、京都堀川の寺地を与えて本願寺の再興を許可しました。

その後、顕如上人が逝去、長男の教如上人が後を継ぎますが、秀吉は教如上人を退けて隠居を命じ、三男の准如上人に本願寺を継がせました。

長男は隠居処分で三男に継承をさせるという、この出来事が後に“本願寺”がふたつに分かれる原因となってしまうのです。

秀吉没後は徳川家康が天下を掌握し、秀吉から隠居を命じられた教如上人に現在の「東本願寺」の寺地を寄進、「西本願寺」と「東本願寺」に分裂したといいます。

徳川家康・家光の思惑?

<豊国神社の太閤秀吉像>

「東本願寺」が建立される前、「西本願寺」と秀吉を祀る「豊国神社」、秀吉が建立した「方広寺」は正面通と呼ばれる“東西道路”で直結していました。

<豊国神社・本殿>

これは「西本願寺」が秀吉恩顧の寺院としての存在であることを都市計画上でも示していたと云われるほど明白なものでした。

しかし、徳川家康が天下掌握の際に「西本願寺」と「豊国神社」「方広寺」を結ぶ“東西ライン”を分断、断ち切るために教如上人に「東本願寺」を建立させたと云われています。

その意思からか、第三代将軍の徳川家光の代に「東本願寺」の飛地境内「渉成園」の寄進はさらに“東西道路”を念入りに分断しようとした意図があったと云われています。

本願寺の分裂は教団内部の事情から起こったことであり、徳川の説も学問的な当否は現在のところ不明確ですが、徳川の果たした役割も否定できないとの見方もあります。

東本願寺は京都駅から歩いて行ける?行き方と見どころや豆知識を紹介
「東本願寺」はかつては「本願寺」と名乗っていた時代もあり、戦国時代には諸大名をも凌ぐ勢力を誇り、あの織田信長ですら手を焼いたといいます。でも京都には「西本願寺」もあるけどどう違うの?と思う人も多いはず。そんな「東本願寺」の見どころと行き方、東西に分かれた理由など歴史的な観点からの豆知識についても紹介します。

西本願寺への行き方と駐車場について

西本願寺への行き方は京都駅、私鉄の主要駅からの行き方を以下に紹介していますので参考にして下さい。

京都駅からバスやタクシーを利用する人が多いですが、Kyotaroは歩いていきました。

電車の最寄駅が京都駅なのですが、東本願寺のように5分で行ける距離ではなく、経路が分かってる人で12~13分、初めての人でも早くて15分はかかります。

京都駅烏丸中央口を出て京都タワーに向かって左手に進み、オムロン前を通過してリーガロイヤルグラン京都がある堀川通まで出ます(徒歩5分)。

堀川通を左折(北上)して七条堀川交差点まで来ると左手に「興正寺」が見えてきますのでその北側が「西本願寺」となります(徒歩8分)。

また車でお越しの際は、西本願寺の北側、花屋町通沿いに専用駐車場がありますのでそちらを利用して下さい。

駐車料金は無料となっており、また敷地も広く300台は駐車可能となっています。

●西本願寺(龍谷山本願寺)
TEL:075-371-5181
〒600-8501 京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
■拝観料金 境内自由(参拝無料)
■拝観時間 5:30~17:00
■アクセス ※京都駅から徒歩13分
・京都駅より市バス9,28,75系統「西本願寺前」下車、すぐ
・京阪七条駅「七条京阪前」より市バス206,208系統「七条堀川」下車、徒歩3分
・阪急大宮駅「四条大宮」より18,71,206,207系統「島原口」下車、徒歩5分
■駐車場  専用無料駐車場完備(300台)


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まとめ

今回は“お西さん”こと「西本願寺」の見どころと訪ねる前に知っておきたい豆知識の紹介でした。

寺院の規模としてはそれなりに大きい寺院ですが、観光寺院ではなく檀家さんの多い寺院ですが、境内はそれなりに歴史的な見どころが豊富にあります。

また2014年より毎日開催されている「お西さんを知ろう!」という参加無料の境内ツアーへお坊さんが案内して頂ける取り組みもあります。

開催は毎日9:30~、11:00~、13:45~、15:30~の計4回実施。

開始時間までに堀川通に面する御影堂門を入ってすぐ右側にある「お茶所」内の受付で、「お西さんを知ろう!」への参加希望を伝えればOKです。

また2021年4月からは「お西さんの法話」が毎日11時から御影堂にて行われていますので時間を調整して訪ねてみましょう。

※予定は予告なく変更になる場合があるので事前にHP等で確認の上、お出かけ下さい。

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