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京都在住のブロガーKyotaroです。
京都伏見桃山といえば明治天皇の御陵があることでも知られ、周辺は皇室宮内庁の御料地となっています。
明治天皇の御陵がある南側、皇室の御料地内に創建された北向きの神社が「乃木神社」でKyotaroは正月の「伏見五福めぐり」で訪ねたことがあります。
境内は通常の神社とは異なる雰囲気が漂っていましたのでその様子を紹介しましょう。
乃木神社の由緒と創建の歴史、ご利益について
乃木神社といえば全国に複数ありますが、その中でも京都の伏見桃山にある「乃木神社」は日本国内で最も早く建立が計画された国内2番目の乃木神社として知られます。※最速で創建されたのは那須・乃木神社。
創建の由来は乃木神社のすぐ北側に位置する「桃山御陵」こと「明治天皇 伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)」にゆかりがあるから。
現在も近鉄の駅名に「桃山御陵前駅」となっており、地元では「桃山御陵」として親しまれています。
その歴史・由緒と気になるご利益について詳しく見ていきましょう。
乃木神社の由緒と創建の歴史について
まず「乃木神社」と「明治天皇 伏見桃山陵」のゆかりについて紹介しましょう。
乃木神社に祀られているのは日露戦争での勝利に貢献した乃木希典将軍でバルチック艦隊を打ち破った英雄・東郷平八郎連合艦隊司令長官とともに英雄と称えられる人物です。
1912年(明治45年)7月30日の明治天皇崩御の知らせを聞いた乃木希典、靜子夫妻は後を追うように東京赤坂の屋敷で自刃されました。
乃木夫妻は先逝された明治天皇への忠義を貫き、自らの命を天皇の御霊に奉じられたのです。
この知らせに当時、夏目漱石をはじめ多くの文学著名人も悲しみに明け暮れたといいます。
乃木希典の遺志を偲んで京都伏見桃山の御陵に葬られた明治天皇のすぐそばに1916年(大正5)に村野山人氏をはじめ、政財界人、軍関係者の尽力を得て特別に皇室御料地内に創建されたのが「乃木神社」なのです。
乃木神社がの本殿が北側を向いてるのはこの「明治天皇 伏見桃山陵」に対面するために造られたからなんですね。
乃木希典は明治天皇崩御の知らせを聞いたその日に自刃したといい、いかに明治天皇への忠誠心が強かったのかが伺い知ることができます。
乃木神社のご利益について
乃木神社のご利益について見ていきましょう。
日露戦争で大きな功績を残した英雄・乃木希典大将をお祀りすることから“勝負運”にまつわるご利益が中心となっています。
詳しく見ていきましょう。
「全てに勝ちま栗」と「勝水」
乃木希典は日露戦争を勝利に導いた当時の陸軍大将であり、後に学習院長に就任、昭和天皇をはじめ多くの人材の教育にあたったことなどから勝運、出世、仕事・学業の成就、受験合格のご利益があります。
特に陸軍大将として日露戦争に勝利したことにあやかり“勝ち運”に恵まれることにご利益があるとされ、境内には「全てに勝ちま栗」の祠や「乃木の名水 勝水」があります。
よって新春の初詣の際には受験生は去ることながら、スポーツ関係での必勝を祈願しに訪れる人も非常に多い神社となっています。
境内にある山城ゑびす神社の由来
境内には「山城ゑびす神社」があり「幸せになり鯛」のユニークなモニュメントもありますが、このゑびす神社にも紆余曲折があったのです。
乃木神社は創建時に乃木夫妻に加えて乃木勝典、保典の両ご子息の四柱を御本殿にお祀りしようと村野山人翁が当時の内務省に申し出たといいます。
しかしながら、乃木希典大将の一柱を祀る事しか許されず、1918年(大正7)に本殿の西側に靜子夫人の御霊を御まつりし「靜魂神社」を創建したのが「山城ゑびす神社」の始まりと云われています。
現在は、乃木神社の創建90周年を記念して村野山人翁の念願であった靜子夫人の御霊を本殿へお遷しして乃木希典大将と仲睦まじくお祀りされており、「山城ゑびす神社」に改称され、今日に至ります。
楼門から本殿は一直線で結ばれておらず、楼門の正面に位置しない、普通の神社とは一風変わった神社となっていますので、事前にその歴史をかみしめてからお参りしたいですね。
乃木希典の生家「長府乃木旧邸」
乃木神社の境内には他にも乃木希典にまつわる資料館などがあり、その歴史に触れることができます。
長州藩時代の乃木希典の生家である「長府乃木旧邸」が復元されたレプリカが展示されています。
軍艦「吾妻」の錨
同じく境内北側にある日本海海戦で活躍した軍艦「吾妻」の主錨のレプリカが安置されています。
実際に見てみると錨はかなりの大きさですが、軍艦「吾妻」はもっともっとデカい戦艦だったことが安易に想像できる展示です。
忠魂碑
軍艦「吾妻」の隣にある大きく“忠魂”と書かれた石碑は陸軍大臣陸軍大将であった南次郎の書と云われています。
明治期における戦争の歴史を肌で感じることができます。
乃木将軍、学習院長時代の銅像
乃木神社の楼門から境内に入ると参道沿い、手水舎横には「学習院長時代の乃木将軍」銅像があります。
まさに乃木将軍をお祀りする神社であることを感じる瞬間でもあります。
乃木希典記念館
境内の「長府乃木旧邸」に隣接した赤い屋根の建物が「乃木希典記念館」です。
この建物は日露戦争の際に南満州の柳樹房にあった周玉徳・周金夫妻の住居を借り上げ、起居していた建物で村野山人翁が周玉徳から買い上げ日本へ運搬移築いたものです。
乃木希典大将は南満州でこの住居を「第三軍司令部」として旅順攻囲戦の指揮を取っていました。
宝物館
乃木希典記念館の北隣に建つ「宝物館」。
館内には乃木希典直筆の書簡や刀剣、武具などが展示されています。
他にも乃木夫妻の生活ぶりを伺わせる質素な生活調度品など貴重な遺品や文化財が多数展示されています。
※宝物館への入館には大人100円、小学生50円が別途必要となります。
お百度参り及び内苑
乃木神社の本殿周辺の回遊路は、乃木神社創建百周年記念事業として整備され、「乃木三絶」と呼ばれる真直筆の三歌碑をはじめ四季折々の景観を楽しむことができます。
また創建当初からこの回遊路は「お百度参り」の順路としても信仰されてきた歴史があり、今も年間を通じ多くの人が参拝に訪れる場所となっています。
※内苑拝観には大人100円、小学生50円が別途必要となります。
乃木神社への行き方は?車で行っても大丈夫?
ここでは乃木神社へ行く方法について纏めました。
先に紹介の通り、Kyotaroは「伏見五福めぐり」で訪れたのが初めてでその時は京阪「伏見桃山駅」から「御香宮」を経て徒歩(約15分)で参拝に訪れました。
ここでは「乃木神社」への便利な行き方と駐車場事情について紹介します。
乃木神社へ公共交通機関で行く方法
乃木神社の最寄駅は京都駅よりJR奈良線「桃山駅」、京阪電車の場合は中書島駅で宇治線に乗り換えて「桃山南口駅」から徒歩(約15分)が最寄りの駅ということになります。
いちばん近い駅はJR奈良線の「桃山駅」下車、徒歩10分となります。
また京都市内からアクセスで便利なのは近鉄「桃山御陵前駅」、近鉄と並走する京阪電車京都線の「伏見桃山駅」でともに徒歩15分程度かかりますので京阪「桃山南口駅」を利用するよりは便利です。
乃木神社に参拝者専用駐車場はあるの?
乃木神社には参拝者専用の駐車場が10台程度あります。
料金はかかりませんが、参拝者が少ない時期は閉鎖されてることもありますので車で参拝に行かれる際は、駐車場利用が可能か?直接確認してから出かけた方が無難です。
ちなみに新春初詣を兼ねた「伏見五福めぐり」で訪ねた際も1月2日でしたが、時間帯かかわらず、ほぼ駐車場利用が可能な状態でした。
車でのアクセスの場合は、京都方面からの場合、国道24号線の御香宮前交差点を左折して二つ目の信号を右折して乃木神社鳥居を潜ったすぐ左手に楼門が見えてきます。
乃木神社へのアクセスと駐車場について
●乃木神社
TEL:075-601-5472
〒612-8028 京都府京都市伏見区桃山町板倉周防32-2
■拝観料金 境内自由参拝
※宝物館と内苑拝観は別途それぞれ100円が必要。
■拝観時間 9:00~16:00
■アクセス 近鉄又は京阪電車利用が便利
・京都駅よりJR奈良線「桃山駅」下車、徒歩10分
・京阪京都線「伏見桃山駅」下車、徒歩15分
・近鉄京都線「桃山御陵前駅」下車、徒歩15分
■駐車場 参拝者専用無料駐車場あり
まとめ
今回は「伏見五福めぐり」のひとつとしてもお馴染みの「乃木神社」の紹介でした。
その名の通り、明治期に活躍した「乃木希典」をお祀りする神社で全国に複数社同名の神社があり、東京の「乃木神社」は同名のアイドルグループが参拝に訪れて話題に。
御祭神に実在の人物「乃木希典」とその妻「靜子夫人」をお祀りしており、境内は日露戦争で大きな功績を残した「乃木希典」にまつわる史跡が複数残されています。
個性的な御朱印も人気、かつ毎年正月元旦から15日に行われる「伏見五福めぐり」御朱印めぐりのひとつとしても有名な神社です。
人生の勝負に打って出る、将来出世したいというあなたの夢を叶えるには持って来いの神社ですのでぜひお参りしてみては如何でしょうか?
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