相国寺の特別拝観(法堂、方丈、開山堂)と境内の見どころを紹介

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京都在住のブロガーKyotaroです。

「京都五山」をあなたはご存じでしょうか?「五山文学」とも呼ばれ、五山禅林における文学を指し、五山とは五つの臨済宗の大寺院を意味します。

今回はそんな京都五山の第二位に列せられている「相国寺(しょうこくじ)」の紹介です。

京都にはたくさんの有名観光寺院あり、相国寺は比較的陰に隠れがちですが、あの金閣寺(鹿苑寺)や銀閣寺(慈照寺)を境外塔頭にもつ大本山なのです。

相国寺の特別拝観と境内の見どころについてそれぞれ詳しく見ていきましょう。


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相国寺の特別拝観は開山堂前庭・裏方丈庭園・雲龍図と見応え充分

「相国寺(しょうこくじ)」春の特別拝観(2021年3月24日(水)~6月4日(金)まで開催)に行ってきました。

春の特別拝観、従来の予定では重要文化財の「法堂(蟠龍図)」「方丈」「宣明(浴室)」の公開となっていましたが、「宣明(浴室)」の公開が「開山堂」に変更になっていました。

よって「宣明(浴室)」は外観のみ見学して「開山堂」の拝観と庭園見学を楽しむことができました。

ここでは春の特別拝観の見所を紹介しましょう。

法堂(はっとう/重要文化財)

現在の「法堂(はっとう)」は1605年(慶長10)に豊臣秀頼の寄進によって再建(5回目)されたもので法堂としては最古の建築と云われる貴重な建物となっています。

相国寺境内でも威風を放ち、正面28.72m、側面22.80m規模の大きな建築物となっており、堂内天井には有名な狩野一派「狩野光信筆」による「蟠龍図」が描かれています。

須弥壇には御本尊の「釈迦如来」がお祀りされており、須弥壇横にある目印の場所で手を叩くと音が堂内に反響して“龍の哭き声”のように聞こえる仕掛けがされています。

脇侍として「阿難尊者(あなんそんじゃ)」と「迦葉尊者(かようそんじゃ)」が安置されており、「釈迦如来」とともに鎌倉期の彫刻家「運慶」の作と云われています。

法堂創建は1391年(明徳2)で当時は「法雷堂」と呼ばれていましたが、豊臣秀頼による再建まで4度の焼失に遭ってきた歴史があります。

※法堂内は一切、写真撮影が禁止となっていますので注意しましょう。

方丈

法堂の背後に建つのが「方丈」で禅宗伽藍の配置を象徴する“一直線上”に建ち並ぶ様式になっています。

従来は山門→仏殿→法堂→方丈、という順に建てられますが、相国寺の仏殿は焼失、現在も再建されないままとなっています。

現在の「方丈」は1807年(文化4)に開山堂や庫裏とともに再建されたもので一重、入母屋造り、浅瓦葺きの切妻造りとなっており2007年(平成19)に京都府の有形文化財に指定。

「方丈」として規模の大きな建築となっており、桁行25m、梁間16mあります。

内部は「竹の間」「梅の間」「御所移しの間」「琴棋書画の間」「聴呼の間」などがあり、見事な襖絵は“臥遊”の称号を名乗った原派の初祖・原在中の作と云われています。

方丈には「表方丈庭園」と「裏方丈庭園」があり、それぞれ方丈正面と裏側に趣の異なる2つの庭園があります。

「表方丈庭園」と呼ばれる方丈前庭には一間一戸の四脚門(しきゃくもん)で唐破風屋根の「方丈勅使門」があり、白砂を敷き詰めたシンプルな庭園となっています。

個人的には「裏方丈庭園」のほうが好みで谷川を掘り下げ、対岸に築山を設けた深山幽谷の雰囲気を作り出した庭園となっています。

初夏は青もみじ、秋には紅葉も楽しめる、人工ながら自然と調和した印象がもてる庭園で京都市の名勝に指定されています。

方丈表にある「白象図」がなんともリアルでインパクトがありました。

※方丈内部の各部屋は一切、撮影禁止となっています。

開山堂

「開山堂」にはその名の通り、相国寺開山「夢窓国師」の木像が安置されており、法堂の東側に位置して建っています。

「開山堂」も同じく1467年(応仁元)に勃発した応仁の乱の兵火で焼失、その後も兵火によって複数回焼失の後、1807年(文化4)に現在地に移築されました。

開山堂の南庭にあたる「開山堂庭園」は白砂敷きに岩を配した“平枯山水”、小川を挟んで庭園の奥には軽くなだらかな“苔地築山”のコントラストとても美しい見事な庭園です。

庭園内を流れる水路は「龍淵水」と呼ばれ、相国寺創建当時は加茂川のご用水を境内の「碧玉溝」と呼ばれる水路を通じて皇居(現在の京都御苑庭園)まで流れていました。

1935年(昭和10)の頃にこの小川の水源は途絶え現在、水は流れていません。

よく手入れされた庭園で天候が良ければ手前の白砂、奥の緑、そして青空という三拍子揃った美しい景観が広がり、秋には楓の紅葉も楽しめます。

開山堂の内部より撮ると庭園が美しい景観が写真に納められるのですが、残念ながら開山堂内部は立入禁止のため、様々な角度からの写真となります。

いちばん上の正面の写真は庭園全体が収まらず厳しかったですが、一応撮ってみました。

※堂内は撮影禁止となっています。

相国寺の歴史と境内見どころを紹介

続いて相国寺の歴史的背景と境内の見どころについて紹介しましょう。

相国寺は臨済宗相国寺派大本山の寺院で山号を「萬年山」と号し、正式名称を「萬年山相國承天禅寺」と称します。

足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺として「京都五山」の第二位に列せられる由緒ある寺院で京都観光で有名な「金閣寺」や「銀閣寺」を塔頭寺院とする大本山です。

まず相国寺の歴史的背景をみていきましょう。

相国寺と足利義満

相国寺(しょうこくじ)は14世紀末に室町幕府第3代将軍の足利義満によって創建、夢窓疎石を開山として迎えました。

創建後は幾度の戦火による焼失、そして復興の歴史を繰り返した苦難の歴史背景があります。

それでも境内の「法堂」は日本最古の法堂建築と云われ1605年(慶長10)に豊臣秀頼によって再建され今日に至ります。

相国寺という呼び方の由来は、足利義満の当時の位(役職)「左大臣」から来ており、当時日本では左大臣の位は「相国」と呼ばれていたことによると云われています。

相国の「相」はを「しょう」と読み“国を治める”という意味があり、現在も国の要人を「宰相(さいしょう)」や「首相(しゅしょう)」と読む由来でもあるのです。

ちなみに足利義満が活躍した時代の中国は「明」の時代で、当時中国の開封という都市に「大相国寺」という五山制度の始まりとなった寺院がありました。

この「大相国寺」の寺号を頂いて「相国寺」と名付けられたという説もあり、現在も中国「大相国寺」と京都「相国寺」は“友好寺院”の締結をしており、両寺院には「友好の碑」があります。

相国寺の壮大な敷地

相国寺の総門は現在、京都御所の北門(今出川御門)を北上した正面にありますが、創建当時の「総門」は室町一条あたりにあったと云われています。

現在の敷地面積約4万坪には13の塔頭寺院があるのに対し、創建当時は約144万坪の敷地内に約50もの塔頭寺院があったと云われています。

現京都地図に照らし合わせると北は「上御霊神社の森」、東は「寺町通」とここは現在とさほど変わらないのですが、西は「大宮通」までが寺地であったと云います。

その広大な寺院の敷地は大幅に縮小された現在も周辺地域の住所や町名として名残があります。

例えば、東門前の町名「塔之段」はかつての七層宝塔がありましたし、「毘沙門町」は当時の毘沙門堂の址地とされています。

現在、相国寺の南側に同志社大学、北側に京都産業大学付属中学校・高等学校がありますが、かつて焼失から復興できず明治維新後に廃合された相国寺の址地に建っています。

現在の37倍近い敷地面積を誇った相国寺の強大な勢力はあの金閣寺や銀閣寺を山外塔頭としていたことや現在も全国に百ケ寺の末寺を擁していることから伺い知ることができます。

相国寺の境内見どころについて

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相国寺の伽藍と開山堂は特別拝観(有料)にて紹介させて頂きましたが、境内の見どころはまだまだあります。

特別拝観(有料)以外の境内は基本、自由に拝観することができますが、広大な敷地(約4万坪)に見どころが点在していますので併せてゆっくり散策してみましょう。

相国寺は同志社大学に隣接してることもあり、学生さんの通学路にもなっており、境内における日常を垣間見ることもできる貴重なスポットになっています。

総門

「総門」という割に規模はやや小さめ、というのが第一印象で「勅使門」と並んで建っています。

創建当時、室町一条にあった「総門」は1466年(文政元)に落成、足利義政が初めて通行したことでも知られています。

その後、応仁の乱や天明の大火により焼失と再建を繰り返し、現在の総門は1797年(寛政9)に再建されたものです。

2007年(平成19)に京都府指定有形文化財となりました。

勅使門

総門と並ぶように建つ「勅使門」は普段使用されず、皇室からの特別な使いを迎え入れる際にしか使用されず、別名「御幸門」とも呼ばれています。

現在も鉄格子の扉で封鎖され、近くまでいけないようになっています。

禅宗の大寺院では正面に通用門としての「総門」、その並びにもうひとつ「勅使門」を造る例が多く、相国寺もそれに倣っています。

天界橋

「天界橋」は境内の放生池に架かる石橋で「天界」とは境界線を意味し、相国寺と禁裏御所の中間の役目を果たしていました。

1551年(天文20)に相国寺が焼失したという「天文の乱」が起こった場所としても有名です。

橋材には当時の旧材を使用しており、面影が残されていますが、何も知らなければ横目に通り過ぎてしまうので総門から入ったらすぐ左手の池に架かる橋を意識しましょう。

三門礎石

1788年(天明8)の天明の大火後、再建されていない三門の礎石が現在も残されています。

当時は勅使門→天界橋(放生池)→三門と一列に並んでいたことが伺い知ることができます。

仏殿跡

「仏殿」も「三門」と同様に1551年(天文20)の天文の乱で焼失後、再建されておらず、実在しません。

礎石のみが残されているのみで「三門礎石」と「法堂」中間に位置する小高い丘が仏殿跡に当たります。

ここもぱっと見、通り過ぎてしまいそうな場所ですが、勘のいいひとは法堂の前の松林が存在感を放ってるので気になると思います。

弁天社

境内「開山堂」の南側、南面して建つ「弁天社」。

桟瓦葺の小さなお社が建っており、弁財天が祀られています。

弁天社前には休憩所と小さな手水舎があり、地元の方々の憩いの場にもなっています。

洪音楼(鐘楼)

「洪音楼(こうおんろう)」と呼ばれていますが、境内の鐘楼に当たります。

天明の大火で焼失しますが、1843年(天保14)に再建、現在に至ります。

別名「袴腰付鐘楼」とも呼ばれ、大型鐘楼として全国に現存する鐘楼の中でも有数の規模を誇ります。

宗旦稲荷社

「洪音楼」の陰に隠れて分かり辛いですが、鐘楼の北側に鎮座しているのが「宗旦稲荷社」です。

江戸初期に境内に住んでいた一匹の“白狐”が茶人・千宗旦に化け、ある時は雲水にまじって坐禅を組んだり、ある時は寺の和尚と碁を打っていたという故事が伝わっています。

ある時、千宗旦に姿を変えて点前を披露していたが、その点前の腕前が実に見事であり、宗旦本人も関心したと云います。

化けていたずらをするのみならず、人々に善を施し喜ばせていた宗旦狐の死を悼み、雲水たちによって祠が造られ供養されたのが「宗旦稲荷社」です。

大通院

「宗旦稲荷社」の東にあるのが境内塔頭寺院の「大通院」で相国寺の修行道場「専門道場」となっています。

坐禅堂(選仏場)では現在も修行僧(雲水)が日夜坐禅修行に励んでおられます。

※入場禁止の看板が門前に建てられており、拝観不可となっています。

庫裏

「庫裏」は寺院の台所にあたり、別名「香積院(こうしゃくいん)」と呼ばれています。

方丈の東側に位置し、巨大な破風と壁面が印象的で圧倒されます。

承天閣美術館

「承天閣美術館」には相国寺や金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)の国宝5点や重要文化財145点をはじめ多くの什宝が展示公開されています。

伊藤若沖、円山応挙、長谷川等伯など巨匠による多くの優れた文化財が収蔵されている必見の美術館で定期的に企画展も開催されている。

拝観料は大人800円、65歳以上と大学生600円、中高生300円、小学生200円となっています。

経蔵

「経蔵」は1860年(万延元)天明の大火によって焼失した宝塔跡地に建立されました。

宝塔再建の際に蔵経置場を兼用し「経蔵」を兼ねる宝塔として機能してきました。

後水尾帝髪歯塚

後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)が1653年(承応2)に焼失した大塔を再建された際に出家落髪の髪と歯を納められたという史跡。

天明の大火によって1788年(天明8)に焼失、その跡地に髪歯塚を建てられ、現在は宮内庁の管轄となっています。

鎮守(八幡宮)

足利義満が男山の石清水八幡宮から御神体を奉迎。

創建当時は今出川通りの北にありましたが、現在地に移築。

現在の御所八幡町は当初の鎮守(八幡宮)の旧跡と云われ、町名として残っています。

天響楼

「天響楼(てんきょうろう)」は2011年(平成22)夏に建立された比較的新しい鐘楼となっています。

中国の都市・開封にある「大相国寺」から両寺友好の記念として寄進された鐘で「友好紀念鐘」の銘、「般若心経」の経文が刻印されています。

宣明(浴室)

「宣明(浴室)」は1400年(応永7)頃の創建と云われ、戦火による焼失により現在の建物は1596年(慶長元)に再建、2002年(平成14)に復元修復されたものです。

「宣明(せんみょう)」とは宋の禅宗建築を描いた「大唐五山諸堂図」の中で描かれた風呂「天童山宣明様」という図からきており、浴室の別名のことです。

境内塔頭寺院

相国寺創建当初に約50もあった境内塔頭は、現在13ケ寺となっています。

当時の相国寺境内敷地は約144万坪の規模があったといい、当時の強大な勢力を伺い知ることができます。

実は金閣寺や銀閣寺の方が観光地として京都では有名なため、相国寺が金閣寺、銀閣寺の本山であることは一般的にあまり知られていないようです。

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相国寺境内の見どころまとめ

相国寺の境内の見どころについて紹介しました。

つい特別拝観が行われている法堂、方丈、開山堂にばかり、意識がいきがちですが、焼失と再興の歴史を振り返ると境内には様々な史跡が様々な形で残されています。

当時と比べると4万坪の敷地面積ですが、それでも非常に広い境内なのでゆっくり時間をとって拝観しましょう。

相国寺へのアクセスと駐車場について

●相国寺(萬年山相國承天禅寺)
TEL:075-231-0301
〒602-0898 京都府京都市上京区相国寺門前町701
■拝観料金 大人800円 高校生700円 小学生400円
■拝観時間 10:00~16:00
■アクセス 烏丸今出川より徒歩5分
・市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車、徒歩5分
・四条河原町、三条京阪より51、59系統乗車「烏丸今出川」又は「同志社前」下車
・四条河原町、四条烏丸、四条大宮より201系統乗車「烏丸今出川」又は「同志社前」下車
・北大路バスターミナルより急102系統乗車「烏丸今出川」下車
■駐車場  なし

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まとめ

金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)を境外塔頭寺院として持つ「相国寺」の紹介でした。

個人的には法堂の「蟠龍図」と方丈や開山堂にある庭園がおすすめのスポットです。

「蟠龍図」は建仁寺「双龍図」や天龍寺「雲龍図」に比べると迫力で劣りますが、その歴史を感じる面影と両手を叩いて反響する“哭き声”を迫力満点で体感ができます。

今回Kyotaroは同志社大学のある烏丸通側の西門から入って総門のある境内南側に抜けるルートで境内を拝観しましたが、総門がある南門から拝観が効率よく拝観できますね。

京都御所にも近く、アクセス環境は抜群に良いのでお花見のシーズンなど併せて効率よく観光したいですね。

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