御霊神社(上御霊神社)はこころしずめの社、応仁の乱勃発の地を紹介

神社仏閣(観光)

京都在住のブロガーKyotaroです。

今回は京都市上京区にある御霊神社(上御霊神社)を参拝してきたので紹介します。

御霊神社(上御霊神社)は応仁の乱が勃発した場所としても有名で境内に「応仁の乱勃発の地」の石碑が残る由緒正しき社です。

昔から京都では「御霊会(ごりょうえ)」という祭礼がよく行われますが、その発祥となった神社としても有名。

こころしずめ」の社とも呼ばれる御霊神社(上御霊神社)のご利益と見どころについてまとめました。

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御霊神社(上御霊神社)がこころしずめの社といわれる由来

御霊神社(上御霊神社)は古来、厄除と疫病除のご利益がある神社として知られています。

“こころしずめ”ともいわれるご利益の由来は悲運の生涯を送った御祭神八柱の神霊を鎮めた事にあると云われています。

詳しく見ていきましょう。

御霊神社(上御霊神社)ご利益の由来

御霊神社(上御霊神社)ご利益の由来は、鎮座当時にあまたの天変地異が次々に起こり、悲運のうちに亡くなられた本殿八座の高貴な方々の祟りが始まりとされます。

794年の平安遷都にあたり桓武天皇の勅願により、崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀り、京都の守護神にされたのが御霊神社(上御霊神社)の起源とされます。

ちなみに御祭神として祀られる本殿八座の高貴な方々とは崇道天皇をはじめ、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人、橘夫人、文夫人、火雷神、吉備大臣です。

いずれも奈良時代から平安時代初期にかけて悲運のうちに亡くなられたというのが共通点の八柱の神霊。

八柱の神霊を鎮めるために京都神泉苑の「御霊会」でお祀りしたのがはじまりで八所御霊大明神と称え奉られました。

「こころしずめ」のご利益は非業の死を遂げた八柱の神霊を鎮めた歴史に由来し「こころしずめの社」と呼ばれています。

その後、国家守護、禁裏産土神(きんりうぶすながみ)、都民擁護の神社として長久に鎮座し、今日に至ります。

御霊神社(上御霊神社)の見どころ

御霊神社(上御霊神社)の境内にある見どころについて詳しく見ていきましょう。

境内は鎮まり返った森の中にいるような静かさを誇る神社です。

四脚門(南門)

御霊神社(上御霊神社)の南側に位置する門。

伏見城の四脚門を移築された門との言い伝えがあります。

楼門(西門)

江戸中期の寛政年間に再建された境内西側にあたる楼門。

今出川通からアクセスするとこの門に辿り着きます。

本殿

八柱の神霊をお祀りする御霊神社(上御霊神社)の本殿。

1733年(享保18)御寄進の内裏所賢所御殿の由緒ある遺構を1970年(昭和45)に再建した建造物です。

清明心の像

1979年(昭和54)に建立された銅像群。

生命の尊重、子供たちの健やかな成長を祈って中国宋代の学者である司馬温公の故事によって造られた。

芭蕉句碑

松尾芭蕉が1690年(元禄3)に御霊神社(上御霊神社)参詣時に奉納された「半日は神を友にや年忘」の句碑。

西側の楼門から進んだ舞殿前に句碑が建っています。

手水舎

楼門(西門)を入った社務所の前にある手水舎。

今、流行りの“花手水”風に花が生けられてる時期があります。

絵馬所

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江戸中期(宝暦年間)に御寄進の内裏所賢所権殿を絵馬所に造り替えた建物。

皆川淇園、小林雪山など著名画師の絵画が掲げられています。

境内末社について

御霊神社(上御霊神社)の境内はそこまで広くないのですが、摂社や末社がたくさんあります。

花御所八幡宮、厳島神社、神明神社、福寿稲荷神社など本当に小さなお社が複数あるので全てお参りしてみましょう。

 

 

 

境内には「芭蕉句碑」や「清明心の碑」などもあり、じっくりお参りし、句碑を読んだりしてると30分はかかります。

毎年5月1~18日にかけて行われる「御霊祭」をはじめ、季節ごとの祭事がさかんに行われています。

また5月を除く毎月18日に行われる「さえずり市」では手作り品を扱う店など様々なお店が出揃います。

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御霊神社(上御霊神社)は応仁の乱、勃発の地

御霊神社(上御霊神社)の境内には「応仁の乱勃発の地」という石碑があります。

そう御霊神社(上御霊神社)歴史上でも有名な、あの「応仁の乱」が勃発した地としても知られます。

応仁の乱のきっかけとなった御霊の森


1467年正月18日朝の“御霊の森”、すなわち今の御霊神社(上御霊神社)境内で始まった合戦が「応仁の乱」のきっかけと云われています。

前日17日深夜に室町幕府菅領の畠山政長が自ら屋敷を焼き払い、約二千もの兵を率いてこの森に立てこもったのが東軍。

また18日早朝に畠山政長と畠山家家督を争っていた、畠山義就が朝倉孝景と山名持豊(のちの宗全)の命を受けた山名政豊が加勢した三千余りの兵が西軍。

東西の軍勢が丸一日合戦し、兵数で劣る政長方が退去したのが「応仁の乱」最初の合戦です。

畠山家の家督争いに足利家の後継者争いが絡む大戦乱


本格的な戦が始まるのは1467年5月、細川氏と山名氏の両陣営はそれぞれ軍勢を集め、戦時体制を固めるが、そこに当時の将軍・足利義政の後継者争いが絡み、本格的な戦に入る。

最終的に「応仁の乱」は11年にも及び、京都の街は疲弊し、室町幕府の権威を失墜させることになったのです。

「応仁の乱」によって京都は焼け野原となり、僧の尋尊は「なぜ応仁・文明の乱が起きたのか?原因がわからない」というほど何の必然性もない戦が延々と続いていた印象を吐露しています。

確かに10年以上にも及ぶ「応仁の乱」によって京都の社寺はほとんどが焼失してしまったのですから。

御霊神社のアクセスと駐車場について

●御霊神社(上御霊神社)
TEL:075-441-2260
〒602-0896 京都府京都市上京区上御霊竪町495
■拝観時間 9:00~17:00
■拝観料金 無料(境内自由)
■アクセス 最寄り駅は市営地下鉄「鞍馬口駅」
・市営地下鉄「鞍馬口駅」より徒歩5分
・京都バス「烏丸鞍馬口」より徒歩5分
・市バス「出雲路俵町」より徒歩5分
■駐車場  無料駐車場あり(10台程度)

まとめ

御霊神社(上御霊神社)は観光客というよりは地元の人たちによる地元向けの祭りが多く、お祀りの時期は人が多くなりますが、それ以外は参拝客が多くない神社です。

なので車で行っても駐車場に停められる確率は他の神社仏閣より可能性は高いです。

ただ京都駅から市営地下鉄烏丸線の鞍馬口駅から歩いても徒歩5分程度なので公共交通機関でのアクセスの方が便利です。

“こころしずめ”という珍しいご利益を授かることができますので、コロナ禍が長引き先行きの不安から何かと心が穏やかでない、という人はぜひ訪れみてはいかがでしょうか?

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